外伝 | 序章「じぃちゃんの想い出」 |
「幸‥‥なんで夕日って奴ぁいつ見ても違う顔を見せてくれるんだろうなぁ‥‥」
沈みゆく太陽を縁側で見つめながら、佐吉は6年前に失った半身に語りかける。
64歳の齢を数えても、なお奥底にどこか子供っぽい光を宿すその眼は今はどこまでもやさしい。
天河 佐吉、彼は15の歳で大工の道に入り、それからずっと大工として生きてきた。
普段は豪放快活、竹を割ったような性格の漢であり、細かいことは全く気にしない。
また生来酒には目が無いクチでもある。
しかし、仕事への真剣さはただならぬものがあり、
どこまでも厳しいものをもってそれにあたった。
当然、絶大な信頼を依頼主から持たれ、遠方より仕事を頼みに足を運ぶ人も多く
、数多くの弟子に慕われながら忙しくも充実した日々を過ごしてきた。
しかし、6年前に最愛の妻を失ったのを期に一番弟子の徹に組を任せて
突然隠居してしまう。
以来、徹や一人息子である良治の説得にも関わらず、
彼はこの長年妻と過ごした家で一人、彫り物を作って過ごしていた。
(幸ぃ、良治がなぁ「親父ぃ、もうそろそろこっちで一緒に暮らさねぇか?」ってよ。
あいつも、もう父親なんだもんなぁ。
あの泣き虫で俺やおまえや徹にくっついて回ってたアイツがよぉ‥‥。)
佐吉は眼を伏せる。太陽は沈み、あたりを急速に闇が包んでゆく。
閑散とした山村はひっそりと静まり返り、虫の羽音と満天の星々だけが支配する空間となる。
(今度、嫁さんと一緒に孫が来るってよ。アキトって言うんだぜ。
しかっし、びっくりしたよなぁ〜「自分の道は自分で決める!」
って言って家飛び出した後便り一つよこさなかった奴が、
いきなりきれいな娘さん連れて帰ってきたときは‥‥)
佐吉の脳裏にあの時の事が蘇る。幸も佐吉もそれはそれは驚き、そして喜んだものだった。
残念ながらその後しばらくして、幸は初孫の顔を見ることなく他界してしまう‥‥‥。
佐吉は虫の羽音に耳を傾けながら、常に傍らに控えていた妻を想った。
(プルルルルルルル‥‥‥プシュー、ゴトン。)
(シュー、ゴトッ、ゴトン、ゴトン‥‥)
電車が動き出した。今日は俺、初めてじっちゃんの家に行くんだ!
俺が生まれたとき、じっちゃんが病院まで来てくれたらしいけど、
そんなこと俺が覚えてるはずが無い。だから、俺が里のじっちゃんに会うのも初めてって訳さ。
隣には母さん。本当は親父の車で来るはずだったんだけど、なんか親父、
急に仕事が入っちまって後で来るらしい。
流れてゆく景色。ちょっと下を見ると線路の石がすげー勢いで後ろに吹っ飛んでゆく。
「アキト!顔出すんじゃない!おとなしく座ってなさい!」
「うわ、やべっ!」
ははっ、調子に乗りすぎた。うっわ、周りのお客さん笑ってるよ‥‥か、かっこわりぃ‥‥。
アキトは仕方なく向かい側の窓に眼を移す。
家やら電信柱やらがすごい勢いで流れてゆく。
(やっぱり、自転車だとこうはいかないもんなぁ‥‥)
それからアキトはずっと窓の外の景色に夢中になっていた。
(‥‥むにゃ‥‥)
「おっ、やっと起きたな。このねぼすけ。」
‥‥? かぁさん?
気がつくと俺はタクシーの中で揺られていた。
俺はあのまま電車の中で寝ちまったらしい。なんか、今日の俺ってかっこわりぃったら‥‥。
絶対りりたんには見せられねぇな。あいつ、悪気はないんだけど、どっかずれてる所あるから、
とんでもないときに口を滑らせかねないんだよなぁ‥‥。
周りはもう見渡す限り田んぼばっかりで、遠くを見るとずーっと山が広がっている。
(へー、すげぇ。オレん家の周りと全然違うや。)
暫くするとタクシーは脇の小道から山の中に入っていった。
道路もきちんと舗装されていないから揺れる、揺れる。
「お爺ちゃんのおうちはもうすぐだよ。」
「そうなんだ‥。じっちゃんってどんな人なんだろう?」
「お客さん。着いたよー。ここで良かったんだよね?」
‥‥と言ってるそばから、タクシーはじっちゃんの家に着いてしまった。
「ありがとうございました。おいくら?」
「ありがとねー。かぁさん、先にいくね。」
タクシーのおっちゃんに料金を払うかぁさんを後に俺はすぐさまタクシーを降りた。
タクシーを降りるとそこはでっかい木が生い茂る林だった。
「うわぁ、すげぇ!」
近所の公園とかの並木道なんかとはスケールが違う。高く高く木が生い茂り、セミの泣き声が
心地よく響き渡る。
それに電車に乗る前は蒸し暑かったのにここはすっごく涼しくて気持ちがいい。
いきなり草の「むっ」っとする匂いが鼻をついたけど、
あんまり道の端に近づかなければ気にならない。
それに暫くしたら慣れてしまって草むらの中に入っても気にならなくなった。
「アキトー置いてくわよー。」
おっと、かぁさんが呼んでる。一体じっちゃんってどんな人なんだろう?
(バタン)
家の前で自動車のドアが開く音がする。
(おっ、アキト達が来たな。)
佐吉は玄関に向かう。
佐吉は昨日、良治が仕事の都合で遅れることは聞いていたので、今朝は
駅まで迎えに行こうと思っていたのだが、ちょっと今朝はどうにも体の調子が悪い。
最近思うのだが、どうやら幸が他界してからというもの、
食事等の健康管理をしてくれる人が居なくなったのが原因のようだ。
(やれやれ、俺は幸がいないと自分の身体一つ満足に管理出来んのか‥‥)
佐吉は苦笑いをする。
(まぁ、良治の嫁さんやアキトにそんなこと気づかれないようにするぐらいは出来そうだが、
こいつはちょっとまずいな‥‥。まったく、年はとりたくねぇぜ‥‥)
ふと、佐吉は昨日の良治の言葉を思い出す。
「親父、俺達と一緒にこっちで住んでくれねぇか?」
(まったく、俺も年をとったもんだぜ‥‥。)
今までずっと忙しくて構ってやれなかった幸。ずっと心身ともに俺を支えてくれてた女だ。
(こんなに早く別れるなら、旅行の一つでも連れていってやっときゃよかったな‥‥)
6年前、佐吉は妻を看取った後、そう思ってよく自分を責めたものだ。
若い頃は当然金も暇もない。修行時代の苦しい中、幸は俺をよく励ましてくれた。
そして独り立ちしてから良治が生まれると、幸は良治を育てるのに忙しくなったし、
徹を初めとして弟子も増え、俺は自分の仕事認められるのが楽しくて、
幸をどこかに連れてってやろうなんて考えはすっかり頭の中から抜け落ちちまってた。
それなのに幸は俺が仕事の話をすると嬉しそうに聞いてくれやがった‥‥。
あいつは本当にそれでよかったのか、今でもそれがわかんねぇ。
‥‥そうなんだ、幸は本当に俺の事を良く理解してくれてたが、本当に俺は幸をちゃんと
理解してやってたのか?俺は仕事に夢中になってたが、幸はそれで本当に幸せだったのか?
だから、今まで文句一つ言わずについてきてくれた幸を病気で失ったとき、
俺は残りの人生を幸の全てを理解してやることに費やす事に決めたんだ。
仕事は結構突き詰めるところまでやったと思っていたし、後は徹が引き継いでくれる。
良治もどうやら奴にしては上出来な良い嫁さん見つけたようだしな、
良治の事はあの子に任せときゃいいだろう。
でも、幸と一番長く過ごした俺があいつをちゃんと理解できなければ、
この世に幸って女が居た事を本当に知る奴が居なくなっちまうじゃねぇか‥‥なぁ?
孫を迎えに玄関へ向かう途中、佐吉はそんなことを思い出していた。
白状する。俺、「じっちゃん」ってさ、頭の中では、
『白い髭生やして、白髪の仙人みたいな人』
を想像してたんだ。でも、実際の俺のじっちゃんってさ、
体なんか小柄だけどすっげーしまってて、髪の毛だってまだ黒いんだぜ。
眼もきりっとしててなんかかっこいいんだよな。びっくりしたぜ。
でも、「優しいじっちゃん」だったってのはイメージ通りだったんだ。
すごいんだぜ、俺のじっちゃん。
じっちゃんの作った彫り物の鳥とかを見せてもらったんだけど、まるで本物みたいなんだぜ。
木の塊をじっと見て全然力を入れないで彫刻刀を入れてゆく。
すると見る見るうちにただの木の塊が生き物になっていっちまうんだ。
じっちゃんは言うんだ。
「いいか、アキト。物って奴はよぉ、どんな物でも姿を変えて生かしてやることができるんだぜ。
ほれ、例えばよ、この木だって切られて死んだってわけじゃない。
こうして再び命を込めることができる。大工が家を建てるのに使う材木だって、
木を切ってからそれを数年かけて材木として育ててやるんだ。
そうして材木に育った木には次に家って言う別の命を吹き込んでやることができるんだぜ。」
なんか、俺には難しくてよくわからなかった。
でも、じっちゃんが何かとても大切な事を俺に話してるらしいって事はわかったんだ。
翌日、俺はじっちゃんと裏山を流れる川に岩魚を釣りに行ったんだ。
釣りなんか初めてだったけど、俺ってすごいんだぜ。
3匹も釣れたんだ。じっちゃんが色々教えてくれたからだよな。
やっぱりすごいぜ!じっちゃん!
河原で塩をかけて焼いた岩魚は最高だったな。
その帰り道、蝉が死んで転がってた。
「げっ、蝉が死んでる!」
俺がそう言うと、
「アキトは蝉の死骸って嫌いか?」
ってじっちゃんが言うんだ。死骸が好きなんて奴‥‥いるのか?気持ち悪いじゃん。
そう言うとじっちゃんは言ったんだ。
「そうだな。でもよぉ、こいつはこの蝉が精いっぱい生き抜いた証なんだぜ。
そうそう嫌う事もないよな。なぁ?蝉の一生って知ってるか?」
俺はこの間ハルが言った事を思い出した。確か蝉って長い年月地面の中に居て、
蝉になってからはすぐに死んじゃうんだっけ?
「おお、良く知ってるじゃねぇか。えらいぞ。」
じっちゃんに誉めてもらえてなんか嬉しかったな。
「でも、それってなんか可哀相‥‥じゃない?」
俺はその時ふとそう思ったんだ。そしたら、
「なんでそう思うんだい?こいつは8年間も地面の中で立派に成長して、
一世一代の晴れ舞台で立派に大役を果たしたんだぜ。ほれ、今鳴いてるこいつらもそうさ、な。」
俺はびっくりしたんだ。そんな風に考えることなんて夢にも思わなかったから‥‥‥。
結局、その後、木の下にその死骸を埋めてやって俺とじっちゃんは家に帰ったんだ。
その後、親父が仕事を終わらせて俺達に合流し、俺達は皆でばぁちゃんの墓参りをして、
それからじいちゃんの家に一日泊まってから家に戻ってきた。
俺が覚えているじっちゃんとの最初の想い出はこんな感じだった。
その後、俺は度々じっちゃんの家を訪れた記憶がある。
それから数年後‥俺も小学4年生になった。
ある日、じいちゃんから電話があった。
そして親父は嬉しそうに
「アキトぉ。秋からおじぃちゃんと一緒に住めるんだぞ。」
って言った。俺はあの、怖い親父がこんなに嬉しそうに話す姿を初めて見た。
そうか、あのじいちゃんが家に来るんだ。
俺はなんかどきどきして、それをすごく楽しみにしてたんだ。