外伝第2章 「開かれた扉」

「アキー、朝だぞー、こらっ、起きろー!」

母さんの声で目を覚ますと、俺はごそごそと布団から起き出す。

(うにゃ‥‥)

しばらく布団の上であぐらをかいてぼーっとしていると
前日までの蒸し暑さが今日は嘘のように消え去っているのに気がつく。
どうやら夏はそろそろ本格的に終わりを告げようとしているようだ。

「あ、朝かぁ‥‥うっ、は、腹減った‥‥‥」

‥‥‥いいじゃん。別に‥‥‥(汗)。
子供は元気が一番だい(と、誰かが言ってたような気がするぞ(笑))

まだ眠い眼をこすりつつ、俺は着替えて居間へ向かう。

「ふぁ〜〜おはよう。」
「おう、アキ、おはよう。」
「こらっ、アキ、顔洗っといで!」

なんか毎朝こんなだよな‥‥‥ちょっとうんざりかも、だ(笑)。

「あぁ〜今日からまた学校かぁ〜〜めんどくせぇ〜」
「まぁ〜ったく、何言ってるの、この子は!」
「良く言うぜ。りりちゃんに会えなくて寂しかったくせによぉ。」
「はぁ〜、まったく‥この子は、素直じゃないねぇ〜」

ヲイ‥‥どうしてそうなる‥‥‥?

「今度家に遊びに来てもらったらどうだ?」

(おーい、二人で話を勝手に進めてるんじゃねー)

「なんでそうなるんだよ‥‥そんなの関係ねぇよ」

俺は何でか良く分からないが、顔が赤くなるのを感じていた。
大体、なんであんな奴に会えなくて俺が寂しくならないといけない‥‥。

こういう時、へたな事を言うとよけいにからかわれる事になる。
この話題は無視するか早く流してしまうに限るな‥と俺の短い人生経験は語っていた。
いや‥‥りりたん相手に実証ずみだし‥‥‥‥なんかすごいぞ、俺。

なんか朝からばかな会話で盛り上がろうとする親を無視して、俺は黙々と飯を
食べはじめる。(ああ、なんて大人なんだろう、俺(笑))

「そうそう、今週の金曜日におじいちゃん家に来るからね。よかったねぇ、アキ。」
「やっと親父も‥‥。」

ああ、そうか。じいちゃんが家にくるんだ。
俺はこの間会ったじいちゃんの事を思い出していた。
渋いよな〜やっぱり俺も年取ったらああなりたいよなぁ〜。
じっちゃん、家に来たら俺、色んなこと教えてもらうんだ‥‥。

「プルルルル‥‥」
その時、突然電話のベルが鳴った。

「はい、天河です。」

母さんが受話器を取った。こんなに早くから家に電話なんて珍しい‥‥。

「はい、はい、えっ‥‥‥わ、解りました。すぐに参ります。」

なんだ?
母さんはなんだかぼーっとしている。顔もなんか青ざめているようだ。
俺はなんだか少し不安を感じた。
心の奥底で警告を発しているものがある。

(‥‥オカシイ、ヘンダ‥‥イツモトチガウ‥‥)

「あなた‥‥‥お、お義父さんが‥‥‥」



その日、徹さんはじいちゃんが引越す際の荷物をまとめるのを手伝うために
じっちゃんの家に泊まっていたそうだ。
じっちゃんは大方荷物をまとめる終わると、そのあと遅くまで手紙を書いていたらしい。
徹さんは「親方ぁ、もう寝たらどうです?」と勧めたのが

「これは今日中に仕上げなきゃならんのでな‥」

と譲らなかったらしい。じっちゃんは一度言い出したら
聞かない人だったらしいので徹さんもそれ以上なにも言わなかったらしい。

そして、朝。なかなか起きてこないじっちゃんを起こしに来た徹さんは、
既にじっちゃんが二度と帰らない旅に出てしまった事を知った。



じっちゃんが死んだ‥‥‥‥

じっちゃんは俺が行ったとき、布団の中で眠っていた‥‥そう、眠っていたんだ‥‥。
ちょっち色黒だったじっちゃんは今、確かにすこしだけ顔色が悪そうだし、
手も‥‥とっても冷たいんだけど‥‥‥顔は前に会ったときそのままで‥‥
少し、笑みを浮かべて‥‥なんだか、とても満足そうな顔をしてるんだ。

なぁ、じっちゃん。ちょっと、眠いだけ‥‥なんだよな。
俺と同じでちょっとねぼすけなだけなんだよね‥‥
起きたらまた色んな事教えてくれるよな。木彫りの鳥の作り方とか
釣りの仕方とかさぁ‥‥。

なんだか、俺は頭がぼうっとして麻痺したようになっていた。
全てが現実味を持たない。

周りでじっちゃんを見つめる親父や母さん、徹さんや、
あわただしく動き回っているじっちゃんの他のお弟子さん達。
‥‥どこかで誰かのすすり泣く声が聞こえる‥‥なにかをこらえるような声も‥‥

でも、充満する菊の香りだけが俺の、俺の中の唯一の現実だったんだ‥‥‥。



通夜。

俺達はじっちゃんの家に泊まる事になり、俺は客間に通されてここで寝る事になった。
今夜は親父と母さん、徹おじさんが交代でじっちゃんの側にいるんだそうだ。

俺はなんだか寝苦しくなって目が覚めた。
時計を見ると2時を回っている。こんな時間に目が覚めたのは初めてだ。

(今…親父がじっちゃんの側に居るのかな?)

俺は、横で寝ている母さんを起こさないように廊下へ出る。
暗い廊下の向こうに微かな明かりが漏れる部屋がある。

「なんで、こんなに静かなんだろう‥‥」

街に居るときは夜でも何らかの雑音が聞こえるものだ。
犬の鳴き声、自動車の音、時折聞こえて遠くへ消えてゆく救急車の音‥‥

でも、今はただ静かに虫の羽音が聞こえるだけ‥‥

(りーん、りーん)

それは、家の周りではあまり聞く事のできない音。
前にじっちゃんの家に泊まったときに聞いたときは、
気持ちがすっきりするような感じがして心地よかったのだが、
今はただただ俺の心を不安にさせる。

なんていうか、自分がこの空間から完全に孤立していて‥‥
そのことをこの音は俺に明確に感じさせてしまう‥‥そんな感じなんだ‥‥。

俺はあかりの見える方向へ進んだ。
あそこには親父がいる。
怒るとめちゃくちゃ怖いけど、でもなんか安心できる親父がいるんだ‥‥。

しばらく歩いてゆくと、明かりのもれる部屋に着いた。
そこで、障子を開けようとした時、俺は中から親父の声を聞いたんだ。

「親父ぃ‥‥」

そっと中を覗いてみると、中では親父が日本酒を片手にじいちゃんをじっと見つめている。
親父にしては珍しく正座をしている。片手に杯を持ち、正座をしてじっちゃんを見つめる親父‥‥
そこには俺の知らない親父がいた‥。

親父は眼を閉じると杯の酒を飲み干す。その顔はとても険しい顔をしている。

「えっ?」

その親父の目元になにか光ものが見えた‥‥‥涙?

(アノオヤジガ‥‥ナイテル‥‥?)

俺は突然なにかとてつもない不安に襲われた。
‥‥気がつくと俺は布団の中にいた。どこをどうやって戻ってきたのか知らないが、
今はとにかく何も考えたくなかった‥‥‥。


翌日、俺は火葬場にいた。
そこで俺はじっちゃんに最後のお別れを言うように言われた。

棺桶のなかのじっちゃんは俺にはやっぱり眠っているようにしか見えない。
まだ、全てに現実感が湧かない中、棺桶を懐に包んだ釜の扉は閉じられたんだ。




一時間半後に釜が開けられると、俺は親父からじっちゃんの骨を拾ってあげてくれと言われた。
母さんと一緒に長い箸でつまんだそれは‥‥じいちゃんの骨なんだそうだ。
でも、でも‥‥これって‥‥‥ただの白い塊じゃないか!これのどこがじいちゃんなんだよ!

嘘だ嘘だ嘘だ嘘だうそだうそだうそだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‥‥‥‥‥‥


「徹兄ぃ‥‥本当に色々とありがとう。」
「良坊ちゃん‥‥これを‥‥親っさんの最後の手紙です。」

徹は良治に手紙を渡す。
妻である香は昨日から続く夫の硬い表情をみて心が痛んだ。
出会ったときから頼り甲斐のある、でもどこかずっと子供みたいな夫の
のこんな表情は耐えられなかったのだ。
結婚してからずっと良治は香の前ではこんな何かをこらえているような顔をする事をしなかった。
いつも思った事を全て表に出し、香に自分の感情の全てを見せてくれていたのだ。

(今のあなたは見ていて辛い‥‥何故、私に何も言ってくれないの?
私では何もできないの?あなたの痛みをわたしにも分けて欲しい‥‥
それで少しでもあなたの苦しみが軽くなるなら‥‥‥)

手紙を受け取ると良治は丁寧にそれを開いてゆく‥‥。
それを読み進める良治の表情は初めは固いものだったのだが、
次第に驚きと安堵の表情を浮かべるようになっってゆく。

「ははっ‥‥参ったな‥‥親父には‥‥やっぱり‥かなわねぇや‥‥参ったね‥‥」
良治は香を抱き寄せる。そして香は初めて良治の涙を見たのだった。

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