
「うきー…おのれ綾音川…みせつけてくれおってぇ…うきき…」
おさるさんはするすると木の根元までおりると、そこで待っていた筋骨隆々の別のおさるさんに、
「サルノフ、ボクさまは今日は山のふもと、かしわぎようちえんに行くぞ!アレは、綾音川のこまっしゃくれおじょーさまの、ボクさまに対するチョーセンだ!うきゃ〜ッ!」
サルノフと呼ばれたおさるさんは、困り果てた顔で、
「サルノフスキーぼっちゃま、落ち着いて下さい。だいたい、今日は午後からお父上と毛づくろいのお約束があるはずでは…うきき」
「パスきゃ、パス!ボクさまは、ボクさまも、逆に綾音川にチョーセンすることに決めたのだ!それに、幼稚園に行けば、麗しのりりさまもいることだし…(うっとり)。というわけだ、サルノフ、とうちゃんに左様伝えるきゃ!頼んだきゃ、サルノフ!うききききーっ…」
「うきゃ、ど、どこへ行かれるのです、ぼ、ぼっちゃまぁぁぁぁ〜…」
サルノフが呼び止める間もあらばこそ、すでにサルノフスキーはまっしぐらに山を駆け降りていたのでした…。
おひるやすみー!
「ぷはー、喰った喰ったぁ。さぁ、次はドッジボールだ!いこうぜ、ハル!」
「うん、わかったよ、アキト。じゃあ、また後で、りりたん、綾音川さん」
アキちゃんとハルくんは、お弁当を食べおわるなり、まっしぐらに運動場にでていっちゃった。いっしょにお弁当を食べていて、後にのこされちゃったユウちゃんとわたし。
「アキちゃん、おゆうぎの時間もドッジボールだったのに。好きなんだなぁ…」
「男の子って、きっとそうしたものですわ、りりたん」
「そうなのかなぁ…」
「りりたーん、ユウちゃーん、こっちでいっしょに『だるまさんがころんだ』しようよ〜?」あ、ちえちゃんがよんでる。
「うん、ちえちゃん、いまいく〜」おへんじして「いこう、ユウちゃん!」
「ええ、まいりましょう。わたくし、いつも少し動いちゃうのよね。今日はそうはいきませんことよ」にっこり。
「うん、わたしもがんばる〜」
その時。急に目の前を、黒い影がすごい勢いでよこぎったの。
「きゃっ!?」
影は少し先で止まったかとおもうと、ゴムまりのように宙にはね上がって、天たかくくるくる舞い降りてきて、どさりと着地。わたしが顔にあてた手の指のあいだから、おそるおそるのぞいてみると…。
「…サ、サルちゃん?」
「うき。ボクさまです」
目の前にいたのは、柏木ようちえんの裏山がおうちのニホンザルさん、サルちゃん。確かほんとうのなまえは、ミヒャエル・ド・サルノフスキーJr、だったと思うんだけど、おなまえ、ちょっと長すぎるから、わたしはいつもサルちゃんって呼んでる。今日のサルちゃん、タキシード着てる。
「サルちゃん、びっくりしたよ、もう」
「うきー、りりさん、我が麗しのマイスイートハニー。おどろかせてしまってごめんなさいなのだ。ほんとうはいつものように薔薇の花束を差し上げたいところなのだけれど、今日は急ぎで来たので用意できなくて、これまたごめんなさいなのだ」
「サルちゃん、バラの花はもうたくさんもらっちゃってるから気にしないで…」
「うききー、なんと寛容なおことば。そんなアナタにほれなおし〜」
サルちゃん、サルちゃん、いきなりちょっと目がうるんでるよ。ほっぺが赤くなってるよ。何でかわからないけど、ちょっとコワイ…。
「サルノフスキーさん、こんにちは。お父様とはいつもおしごとでお世話になってます」
ユウちゃんがサルちゃんにごあいさつ。サルちゃんのおうちは、ユウちゃんのおうちの「とりひきあいて」なんだって。前にハルくんが、サルちゃんのおとうさん、ミヒャエル・ド・サルノフスキーさんは、ニホンザルで初めて、長者番付にランクインした、大金持ちのおサルさんなんだって教えてくれた。サルノフスキーさんのかいしゃは、ユウちゃんのおうちのお仕事と同じように、全国にちらばってて、よくわからないけどすごいんだって。すごいなぁ、すごいおサルさんだなぁ、サルちゃんのおとうさんって。
でも、サルちゃんのほうは、ユウちゃんがごあいさつするなり、すごい目付きになっちゃった。
「うきっ!そうだった、りりさんの慈愛に満ちたまなざしに、危うくここに来た目的をわすれるところだったきゃ!」
サルちゃんはとんぼ返りをすると、ユウちゃんに指を突きつけた。ユウちゃん、びっくりしちゃってる。
「うきー、綾音川!今朝はずいぶんと派手な登場だったじゃないきゃ!」
「今朝というと…AYANE-11のことですの?」
「ウキャキャキャーッ!お前のヒコーキがどんな名前だろうとそんなことは知ったこっちゃない!だが、この、天下に名だたるミヒャエルモンキー財閥の御曹司、ミヒャエル・ド・サルノフスキーJr様の目の前で、あんな風に見せ付けるたぁ、いったいどういう了見なんだ、ええ?」
「うー…そんなことを言われましても…」
「サルちゃん、ちょっと、ちょっと…」
「りりさん、口出し無用っきゃ。これはオトコのメンツの問題だきゃ!」
だめだぁ…サルちゃん、一人で勝手に頭に血をのぼらせちゃってる…。
「うーむ、場末のチンピラのようなからみ方だな」
「ア、アキちゃん!?」
いつのまにかに、わたしのおとなりにアキちゃんがいた。
「アキちゃん、ドッジボールはどうしたの…?」
「ああ、オレとしたことが、いきなり致命弾を喰らって外野だ。で、ふと見れば、こっちが何だか盛り上がってるじゃないか。面白そうだったんで、ちょっと来たってわけさ」
「おもしろくないよぉ!アキちゃん、サルちゃんをとめてあげてよ。ユウちゃん、何にもわるいことしてないのに…」
「うーむ、そうは言ってもなぁ…あいつ、おサルのくせして金持ちのぼんぼんだし、ああいうぼんぼんの逆恨みってタチが悪いしなぁ…。オレとしては、ほとぼりが冷めるのを待つのが一番だと思うぞ」
「そんなぁ…アキちゃん…」
サルちゃん、ますます興奮してわめきたててるし、ユウちゃんはどんどん小さくなっちゃってるよ…。
「りりたん、ここはお前が一肌脱ぐのが一番いいんじゃないか?」アキちゃんが言った。
「え?」
「え、りりさん、脱ぐんですきゃ?」一瞬、サルちゃんがこちらを向いた。
「だれが脱ぐか、このエロザル」わたしが真っ赤になる前に、アキちゃんのツッコミキックがサルちゃんの顔面に入った。
「うきゃあぁぁぁイタイぃぃぃ!ツッコミいれられたきゃーっ!それもこれもみんな綾音川がわるいんだきゃーッ!」
「どぉしてですの〜!?」
ますますヒートアップする二人を残して、アキちゃんはわたしに向き直った。
「…まさか、お前まで『一肌脱ぐ』の意味を誤解したりはしてないよな」
「…と思うよ、アキちゃん」
「じゃ、つまりはそういうことだ。あのおサルはお前にべた惚れみたいだし、そんなお前の言うことなら、アイツも聞き分けると思うぜ、オレは」
「そ、そうなの…?」
「しかも、こりゃショック療法が有効だな。『サルちゃん、ユウちゃんをいぢめるあなたなんてキライ!』とか言ってさ」
「ええーっ!?わたし、そんなひどいこと言えないよぅ…」
アキちゃんはぐっと顔を近づけた。
「りりたん、人生とは厳しいものだ。時には心を鬼にしなければ行けないときもある。綾音川を助けると思って、ここは心を鬼にするんだ」
そんなぁ…だいたい人生って、アキちゃんもまだ4歳じゃない…。でも、見ると、ユウちゃん、さらにますます小さくなっちゃってる…サルちゃん、ちょっといいすぎだよ…仕方ないのかな…。
「ううん…そうだね、がんばってみる。キライって言えばいいのかな…?」
「そうだな…それが一番効くだろ」
わたしはまだやりあってる(っていうか、サルちゃんが一方的にさわいでる)方にむきなおった。
「…オレには言ってもらいたくないもんだな…」
「え?なに?」今、後ろでアキちゃんが何か…
「いや、なーんにも」
わたしはサルちゃんに向かうと、息を吸い込んだ。わたしは人にキライなんて言えない。だけど、このままじゃユウちゃんがあまりにかわいそう。言わなくちゃいけないことなら、いっそ一気に言わなきゃ…。かみさま、ほんとうにサルちゃんがキライなわけじゃないの、ゆるしてね…。
「さっさっさっさっサルちゃん!」
でも、出てきた声はこんなの。やっぱり、キライなんて言うのは、ニガテ!
「サルちゃん、ユウちゃんをいじめないで!そんなことしてると…わたし、わたし…サルちゃんのこと…その…」
声がどんどん小さくなっちゃう。
「…その…キライになっちゃうかなぁ…なんて…」
一拍の間があった。
つづいて。
がいーん。
そのしゅんかん、サルちゃんのまわりだけ暗くなって、上からサーチライトが照らされた…ような気がした。
「ぼぼボクさま、り、り、り、り、りりさんに、りりさんに、きききききききらわれちゃったきゃあああぁぁぁ!」
「サ、サルちゃん!そんな、わたしべつにサルちゃんのことキライじゃなくて…んと、そうじゃなくてキライなんだけど…って、ちがうちがう!あーもう、とにかく気にしないで!わたしはサルちゃんがいつものたのしいサルちゃんでいてくれれば、それでいいの!」
「ぐああああ、りりさんにきらわれたぁ、それもこれも、みんな綾音川、貴様がわるいんだぁぁぁ!うっきょーっ!」
でも、もうサルちゃんには何も聞こえてないみたい。どうしよう〜。
「りりた〜ん、わたくしに対するお心遣いは、ほんとうにありがたいのですけれど、サルノフスキーさん、ますますヒートアップしてしまったみたいですわ〜」
「うーむ、見事なまでの逆効果…」
「アキちゃん、感心してるばあいじゃないよっ!ますますひどくなっちゃったよ〜」
「一体どうしたのさ、みんな」
ハルくんだ。騒ぎを聞き付けてかけつけてきたみたい。
「綾音川さんとサルノフスキーがどうにかしたみたいだね…りりたん、どうなってるの?綾音川さんは…」
「ハ、ハルく〜ん」
わたしはなんとか今までのいきさつをかいつまんでハルくんに話した。
「そんな…綾音川さんは何にも悪くないじゃないか!それなのに…」
ハルくんの顔がどんどん険しくなっていく。いつもはほほえんでるハルくんだけど、こういうときはこわい顔。
「そもそも綾音川のお嬢様が、戦闘機で幼稚園に来るなんてややこしいことをしなきゃねぇ…」
「それとこれとは話が別だよ、アキト。とにかく、綾音川さんをこの場から離さないと…よしっ、ボクが止めに入る!」
「あ、おい、ハル!」
「綾音川さんを放っておけないよ!」
「綾音川死すべしーっ」
そのとき、サルちゃんが飛び上がったかと思うと、ユウちゃんに飛びかかったの!
「きゃーっ!たすけてですわー!」
「サルちゃん、やめてー!」
「うきゃうきうきょーっ!」
その瞬間、声がしたの。頭のなかで聞こえるみたいに。
おちついて、サルちゃん。ユウちゃんはあなたのおともだちよ。だれもあなたを嫌ってないし、あなたもだれが嫌いなわけでもないわ。ほら、心を落ち着けて、まわりをよく見て。あなたは立派な人だもの、あやまることだってできるわね。ほうら、3つ数えて目を開けてみれば、あなたもみんなとなかなおり。
なんだか、やさしくて、なつかしくて、胸がとってもあたたかくなる声。毎晩、おやすみなさいのときに、添い寝してわたしをねかしつけてくれる、かあさまみたいな、やさしい声…。でも、ひどく聞きなれたような響きの声。
わたしの声。
「う、うきょ?今の声はなんだきゃ?」
「な、なんですの?なにか、女の人の声が聞こえたような…」
「なんなのかな…?確かに聞こえたねぇ…なんだか、やさしげな声だった…」
「お、おう。しかも、なんだか、聞き慣れた声のような気がするぞ、オレには」
みんなにも聞こえたんだ…。あれ、わたしの声だった…。でも、わたし、口であんなことはしゃべってない…。
とにかく、サルちゃんは、すっかり毒気を抜かれたよう。
「うきー…ボクさま、なんであんなに怒ってたんだきゃなぁ…今の声を聞いたら、なんだか、ボクさま、すっごくおバカなことをしてたような気がするなぁ…うきー…」
「わたしは初めからあなたのことを怒ってなどいませんでしたわよ、サルノフスキーさん」
ユウちゃんはサルちゃんに近づくと、その手をとった。
「わたしのせいで気分を害されたことはあやまりますわ。ごめんなさい」
「うきゃー…こっちこそ、ミョーなことで綾音川さんにからんだようで申し訳ないっす…きゃー」
ユウちゃんはにっこりして、
「お友だちですわね」
「うきゃ、そうみたいっす…うき」
そうだ。わたしもサルちゃんにあやまらなくちゃいけなかったんだ。
「ねぇ…サルちゃん」
「うき、りりさん…」
「あのね…あのね、わたし、サルちゃんのことキライなんて言っちゃって…ごめんね。あのときはサルちゃんを止めようと思って…でも、だからって、そういうことを言うのは、いけないことだよね。わたし、サルちゃんのこと、キライじゃないから。ごめんね、ほんとに」
とたんに、サルちゃんの目がうるうるしだした。
「りりさん…ボクさまのこと、キライじゃないんっすね。う、う、うきゃー、よかったっす!ありがとうっす…りりさん!きゃー!」
「ごめんね…ほんとに」
「んー…なんだか、さっきまでの騒々しさが嘘のように丸くおさまっちまったな」
「ホントだねぇ、アキト」
「平和だなぁ…」
「平和だねぇ、アキト」
「なぁ、さっきの声だけど…なんて言ったか覚えてるか…?」
「それが、不思議とぜんぜん覚えてないんだ…でも、なんだか、聞いてるだけで、とても気持ちがあたたかくなるような声だってことは覚えてる…」
「オレもそう思う…でも…どこかで…」
「どこかで…なに?」
「いや、うーん…なんでもない。思い過ごしだよ、たぶん」
そんなこんなで、八方丸くおさまって、幼稚園もおしまいの時間。ユウちゃんはいつものとおり、黒服さんのリムジンで、サルちゃんはきゃっきゃととんぼ返りすると裏山へ、アキちゃんとわたしはいつものようにまっすぐ坂を下って、それぞれのおうちにおかえり。帰り道は、そろそろ夕焼けで赤くなりかけてる。
でも、わたしは、まださっきのことが気になってる。
「りりたん…なんか、元気ないな」
アキちゃんがわたしのとなりで、自転車を引きながら聞いてくる。
「そ…そんなことないよ。ほらほら、いつもみたいに、わたしを後ろにのっけて、自転車でびゅーっとさかをくだってみようよ?」
アキちゃんが笑った。いつもみたいな大笑いじゃなくて。
「りりたん…お前、つくづく嘘つくのは下手だよなぁ…。気にしてるんだろ、昼のこと」
アキちゃん、みんなわかってるんだ…。
「うん…」
「なぁ…あれ、オレのせいだよ。オレがお前に変なこと言っちゃったから、話がこじれちまったんだ。ごめん」
「アキちゃん…ちがうよ、アキちゃんのせいじゃないよ。わたしがしっかりしてないから…」
「まったく。お前、責任感、つよすぎ」
わたしをかるくこつんと小突いて、
「それに、最後はお前が丸くおさめたじゃないか」
え…?
アキちゃん、もしかして、あの声のこと、わたしだって気づいて…?
でもアキちゃん、わからないの。わたしにもわからないの。なんであんなことができたのか。なんて言えばいいの、アキちゃん…。
「なんてな」
「え?」
「んなわけねぇだろ。お前、最後の最後までおろおろしっぱなしだったじゃんかよ。ったく、もうちょっとしっかりしてねぇと、世の中渡っていけねぇぞ」
…アキちゃん…。
「…んもぉっ、アキちゃん、ひどい!わたし、そんなにおろおろしてないもん!」
「わっ、いたいいたい、だからそうぽこぽこ叩くなって!」
「そんなひどいアキちゃんは、今すぐわたしを自転車の後ろにのっけて、柏木神社のわたしのおうちまで、わたしを送ってってくれないとゆるしてあげないんだからね!めいれい!」
言いながら、ついつい笑えてきちゃう。
「へいへい、わかりましたよ。オレは所詮運転手ですよーだ」アキちゃんは自転車にまたがって「ほら。乗れよ」
わたしはくすくす笑いながら、アキちゃんの後ろに乗り込んだ。
「な、いつものりりたんに戻ったろ」
え?そういえば、わたしアキちゃんのペースにすっかりのまれちゃってる…さっきまでわたし、ちょっと元気なかったのに、今はわたし、笑ってる…。
アキちゃん、もしかして、わたしを元気づけようとして…?
「それにな」
アキちゃんはこっちをまっすぐ見つめて、
「オレは、何があっても、りりたんはりりたんだと思うぜ」
いきなり涙が出そうになっちゃう。
「ったく、なんて顔してるんだよ。ほら、行くぞ。今度は下りだから、絶対にマッハの壁は破ってやるぜ。つかまってろよ!そぉらっ!」
アキちゃんはペダルをぐいと踏み込んだ。自転車はたちまちのうちにいきおいづく。
アキちゃんにもらった元気だもの。泣いてちゃダメだよね。
「そら行け、ごぉごぉー」
自転車は、夕日の坂道を、いっさんに駆け降りていった。
その夜、その日の出来事をお夕飯で話したわたしに、かあさまは言った。
「それは鎮護の相よ、りりたん」
「チンゴノソウ…?」
「鎮護の相は、争いや戦いの場で、その場の人達に心の声を聞かせて、落ち着いてもらうための力なの。今回の出来事には、まさにぴったりの力だったわね」
「でも…でも…かあさま。わたし、どうしてそんなことができるの?わたし、どうかなっちゃったの?」
かあさまはわたしの頭をなでてくれた。かあさまになでてもらうのは大好き。あたたかくって、おちつけるの。
「あなたはあなたよ、りりたん。どうもなってはいないわ。大丈夫。でも、『どうして』という問いの答えは、しばらく待ってちょうだいね。あなたがもう少し大きくなったら、答えてあげる」
かあさまはくすりと笑った。
「それに…おともだちがけんかをしているのは、悲しいことでしょう?いつもみんなが笑っていられたら、それほど幸せなことはないわ。りりたん、あなたが今日したことはね、まさにそういうことなのよ。あなたはけんかをやめさせて、仲直りさせた。綾音川さんもそのおサルさんも、明日からは仲良く遊ぶことができるでしょう。素敵なこと…そうでしょ?
確かに、急にそんなことができるようになったら、怖くなるのはわかるわ。わたしもそうだったもの。
でもね…この力は、人のために役立てることができるのよ。この力を使えば、怒りに我を忘れて、お互いの良い点を見ようともしない人達に、相手にも良い点があることを知る機会を与えることができる。この力で、少しでもみんながいがみ合うことをやめて、仲良くできる手助けができるのなら、それほど素敵なことはないわ…。だから、この力を恐れることはないのよ」
かあさまはそこで微笑んで、
「わかるかしら?りりたん」
わたしはちょっと考えた。
「よくわからない、かも…でも、ちょっとは、わかる気がする」
かあさまはまた、にっこりと笑ってくれた。
「いまはそれでいいのよ、りりたん。急ぐ必要はないわ。暇になったときに、少しずつ、ゆっくりと考えればいいの」
そこでかあさまは、お盆を手に立ち上がった。
「さぁ、わたしはお茶碗を洗わなきゃ。りりたん、今日はもうゆっくりとお休みなさいな。とうさまがお風呂から出てきたら、いっしょに遊んでもらうのもいいわね」
「うん…うん!かあさま!そうする!」
そして、また、大好きな朝が来る。
「かあさまぁ〜、何で起こしてくれなかったの〜」
大好きな朝だけど、今日はすごくどたばた。家族全員、おねぼうしちゃったの。
「ごめんなさい、まさか目覚ましが壊れてるなんて、夢にも思わなかったから…」
「わはははは、一回ぐらいチコクもいいものだぞ、貴重な経験だ、わはははは」
「とうさま…良くないと思うけど…」
「りりたんの言う通りですよ、あなた」かあさまがたしなめる。「りりたんは、あなたのようにはだらしなくなってほしくないですもの」
「…かあさん、それはちょっとあんまりな言い方だと思うぞ…ぐすん」
かあさまはくすりと笑ってから、
「あら、りりたん、食べ終わったのね。さあさあ、今日は急がないと、本当に遅れてしまうわよ」
「うん…」
実は、まだ口のなかにはごはんがのこってるの。もぐもぐもぐ。
その時、玄関の戸ががらがらと開く音。
「おじゃましま〜す。りりたん、まだここにいるんですか〜?」
「おお〜、アキトくんかぁ。入れ入れ〜。りりたんはまだここだぞぉ」
「と、とうさまったら!」
でも、アキちゃんはとうさまに呼ばれて居間に上がってきた。
「おや、りりたん、今日はホントに遅いじゃないか。オレの寝坊病がうつったかな?」
「ちがうもん。ぷいっ」
「あらあら、アキくん、そんな病気持ちなの?それは気をつけなくてはいけないわね」
かあさまが笑いながら流しから戻ってくる。
「アキトくんに迎えに来てもらうようじゃ、これは本当に危ないな」
「ひでぇや、おじさん」
「アキちゃん、まだわたし歯をみがいてないの。ちょっとまっててね」
「おう。まかしとき」
「じゃあ、とうさま、かあさま、いってきますっ」
「おじさん、おばさん、オレもいってきますです」
「おう、気をつけていくんだぞ〜」
「おば…!い、いえ、いってらっしゃい。寄り道するんじゃありませんよ」
大好きな朝。朝の風は冷たくて気持ち良くて、境内はスズメの鳴き声があふれてて、階段を降りた先にはアキちゃんの自転車。で、となりにはアキちゃん。二人して階段を駆け降りて、自転車にまたがる。
「お、おい、こっちが何も言わないうちから二人乗りかよっ」
「だって、今日はいそがなくちゃいけないもーん。がんばってね、アキちゃん!」
「ちっくしょー、なんでこんな奴を迎えになんていっちまったんだ、オレはよぉ…」
「さぁ、ごぉごぉー」
昨日はいろいろあった。もしかしたら、これからもいろいろあるかもしれない。でもね、こんな朝を過ごしてると、なんとなく、何とかなるかって気になれるの。だからわたし、朝が好きなのかな。
「ふぅ…ひぃ…マッハの壁は遠く険しい…」
「がんばって、アキちゃん!」
玄関先には、とうさまとかあさまがふたり。
「今日も元気に出ていったな、あの子は…」
「そうですね」
「あの子が鎮護の相に目覚めた、と言ったね…昨日の晩、君は」
「ええ…私よりも2年も早いです…筋がいいのかもしれませんね、あの子…。この分で行くと、式神を使役するに足る力を身につけるのも、そう遠いことではないかもしれませんね」
「浮かない顔だな」
「柏木神社の巫女の子に生まれたというだけで、普通の女の子のようには暮らしていけないんです。私の母も、昔、私のことを不憫だと嘆いたことがあります…昔の私には、その気持ちはわかりませんでした。でも、母親となった今は…わかる気がするんです。母のこと」
「そうか…私も時々思うよ。あの子がこのまま、自分の才能に気づかず、普通に大きくなってくれればいいと…しかし、そうは行かないみたいだな…」
「でもね…あなた。私、あの子は大丈夫なような気がするんです」
「ん?」
「あの子は強い子…そう思うんです。昨日の晩も、新しい自分とすぐに折り合いをつけたように見えましたし。私が初めて鎮護の相に目覚めたときには、ああは行きませんでしたわ…。わたしたちがきちんと支えてやれば、あの子はきっと、力強く独り立ちしてくれると思います」
「今のあの子にはアキトくんもいるしな…いい子だ、あの子も」
「くす…そうですね。あの子たちを見てると、昔のわたしたちを思い出しますわね」
「おいおい、何を言い出すんだ」
「似てるんですよ、アキくんと、あなた…。豪快で、まっすぐで、そのくせ優しくて」
「よしてくれよ」
「覚えてますか?私が皆の前で式神を使わざるをえなくなったとき、他の皆が怯えたような目で私を見る中で、あなただけが私を真っ直ぐに見つめて言ってくれましたものね。『たとえ何があろうと、君は君だ』って。本当に嬉しかった…」
そこで腕に寄りかかって、
「だから、私は今、あなたの側にいるんですよ」
「……」
「耳まで真っ赤ですよ、あなた」
「うるさいやい」
二人は寄り添うようにして、再び玄関の奥へと戻っていった。
Written by こじましゅういち
Fin.