
「アキトさん、やっぱり、考え直しませんこと…?」
でも、今はいつものおひさまの光あふれる時間じゃなくて、暗い夜。散策路の奥は暗く、先の道は深い闇に沈んでいてよく見えない。散策路の入り口も、今は古ぼけた門に似せた、不気味な入場門が設けられている。その脇に、ユーレイの格好をした人が受付けをしてる。
「んー…いつ来ても、あんまり楽しげには見えないところだねぇ、こういうところは…」
「ぜんぜん楽しくなんかないですわ…怖いだけですわ…うるうる」
「アキちゃ〜ん、やっぱり行かなきゃダメなの…?」
当のアキちゃんは、元気すぎるほど。
「何を言う!元来、こういう施設は、恐怖すら楽しむという人間の娯楽嗜好を満たすべく誕生したものだ!なれば、その楽しみを享受せずして、何のための人生か!わはははは」
「でも…アキちゃん、笑顔がちょっとひきつってるよ…」
「き、気のせいだ、りりたん…わはははは」
去年までは、広場のかたすみに、プレハブの幽霊屋敷を作ってたのに、今年は、散策路を利用したきもだめしかぁ…。同じ道が、昼と夜とでこんなにちがって見えるなんて知らなかったなぁ…。昼はあんなに気持ちよさそうに見える道が、夜に見るとちょっとブキミ…。
全員、入り口の前で、お互いの様子をうかがいながら動こうとしない。背中の向こうの活気にあふれた祭りばやしが、ひどく遠いように聞こえる。ここだけが、ひどく暗く、静かに思える。
「ねぇ…なんでわたしたち…ここまで来てじっとしてるの…?」
「わたくしは、事情が許すならば、可及的速やかにまわれ右して立ち去りたいですわ…」
「アキト、こんな調子だし、やっぱりよしておいたほうが…」
「いや、こんなもんより、ウチのオヤジの方がよっぽどコワイ!行くぞ!」
意味不明の声を上げて、アキちゃんは受付けに一歩進み出た。
「きもだめしのチケット、子供4枚!」
これで、もう後戻りはできなくなっっちゃた…。
「ああ…やっちゃったぁ…」
「これでみんな、一蓮托生なんだねぇ…」
「アキトさ〜ん、わたくしたちはここで待ってますから、わたくしたちのことはお気になさらず、一人で楽しんでらしてはいかがですの…」
そんなユウちゃんの言葉を聞いたとたん、アキちゃんがぐるりとこちらをふりむいて、カッと目を見開く。
「いかん!それはいかんぞ綾音川!こういうものは、皆で恐怖を共にしてこそ楽しいんだ!というわけで、みんなで行くぞ」
「う〜…やっぱり、避けられない運命ですの、これは…」
「もしかして、アキちゃん、一人で行くのが怖いだけじゃ…」
もご!
「や、やだなぁりりたん。長い付き合いじゃないか。なのにオレがまさかそんな事考えてるなんて思われちゃ心外だなぁ、おい。ははははは」
「むぐ〜、むぐぐ〜」
アキちゃんに口をふさがれて、何も言えないわたし。
「さぁ、未知なる暗黒空間に向けて出発!」
「アキト…元気だねぇ…」
「怖いのイヤですわぁ〜…」
「むぐぐぐぐ〜」
そのころ、アキトの父、良治は、星の光さえ草葉に遮られてとどかぬ、散策路わきの雑木林で暗闇のなか、息をひそめていた。遠くから、かすかに盆踊りの太鼓の音が聞こえてくる。
(…りりたんの親父さん、威勢よくやってるみてぇだなぁ…)
良治もまた、盆踊りに年に一度の情熱を傾ける人間の一人だった。去年の盆踊りで太鼓を叩いたのは、他ならぬ彼であった。しかし、今年、彼は不覚にも、りりたんの父親と、盆踊りの太鼓を叩く権利を賭けた飲み競べをして、負けてしまったのである。彼は胃が日本酒で満ちるほど酒を飲んだが、相手は彼の想像をはるかに越えていた。酔いつぶれる寸前の朦朧とした視界で最後に見たのは、彼と同じ量を飲んでもなお、平気の平左で陽気に騒いでいる相手の姿だった。
(…あんなに酒に強ぇ神主なんざ、見たことがねぇぞ…)
しかたがないので、彼は夏祭りにかける情熱の方向を軌道修正した。思案の末に、何を思ったのか、彼は、きもだめしで客を死ぬほど怖がらせることに、新たな情熱を見いだしたのである。
結果、きもだめしの舞台は、例年の掘っ立て小屋から、より恐怖を誘う夜の森の小道に変更になり、彼自ら手を下したお化けのメイクの数々は、扮した本人たちが恐怖のあまり卒倒しそうなほどの完成度となった。ルートに沿った出し物の配置も、これ以上はないと言うほどに恐怖をバッチリと演出するはずだった。
(…けどなぁ、ちょーっとやりすぎちまったかなぁ…)
彼は、腹からどろどろとだらしなくぶら下がっている大腸を脇によけながらそう思った。彼が扮しているのはゾンビである。それも、かなり腐敗の進行した。むろん全ては特殊メイクの賜物なのだが、体のそこかしこで、えぐれた肉の跡が血でてらてらと光り、裂けた腹からは、ぬめぬめした腸が2メートルほどもはみ出、肋骨が一部むき出しになり、そうした個所に設置した作り物の蛆虫は、まるで本物のそれのように白くぶよぶよした体をよじらせる。服は裂け、血で汚れ、顔色はいかにも死人然とした土気色に彩飾してある。さらに臨場感を増すために体にすり込んだ腐敗臭は、最初は彼自身をもたじろがせたが、そのうち気にならなくなった。まさにスクリーミング・マッド・ジョージも真っ青である。
(…最初の客なんざ、腰抜かして失禁しちまったし…)
その客は、彼が手を貸して立ち上がらせてやらなければならなかった。腐敗臭を漂わせたゾンビに助け起こされた件の客は、狂気に冒されたような、けたたましい笑い声をあげて、ほうほうの体で逃げていった。それ以来、数客を除いて、客足はぱったりと遠退いてしまった。噂が祭りの会場に広がってしまったに違いない。
彼は今、やりすぎをちょっとだけ後悔する気分になっていた。ちょっとだけだが。
(…ま、いいか。少なくともアキトの野郎は来るはずだしな)
彼は父親の特権を乱用し、息子のアキトに、絶対にきもだめしには来るように約束させたのだった。
(「おいアキト、俺が手塩にかけたきもだめしの出し物、まさか見に来ないなんて言わないよなぁ?もし、見に来なかったら、そのときは…」「うわぁ、オヤジッ、反対反対、家庭内暴力反対ーッ!行く、行くってばさ!」)。
さぁ、父の晴れ舞台をとくと拝むがいい、アキト。
しかし、暗闇に沈んだ小道を左右に見渡してみても、息子はおろか、誰かが来る気配すら見えない。
(…ったくよぉ、ただ待つってのは実に退屈なもんだよなぁ…)
退屈。
退屈。
退屈。
そのとき、彼は、先ほどまで聞こえていた祭りばやしや広場の雑踏の立てる音が、いつのまにかに静まっているのに気がついた。いや、こちらが聞こえてないのか。
(…あぁ?)
その時、彼は背後にただならぬ気配を感じた。全身が総毛立った。首筋を冷たい手が撫でたような感覚。
彼はおそるおそる後ろを振り向いた。次の瞬間、少しも退屈でなくなった。
「ったく、オヤジのヤロー…」
「あ、アキちゃん、な、何…」
「うん?ああ、何でもねぇよ。ひとりごと」
わたしたちは暗い夜道を、受付の人にもらった2つの懐中電灯だけを頼りに、おそるおそる進んでる。懐中電灯の光が、こんなに心細いものだなんて知らなかった。か細い光の先にあるのは、先の道筋さえよく見えないまっくらやみ。ときどき、よくないとは思いつつも、左右や後ろを見渡しちゃうの。今まで通ってきた道ですら、次の瞬間には闇に塗り込められている。今にもオバケがとびだしてきそう。そんなことを思わず考えちゃうたびに、わたしはぶるっと頭をふって、懐中電灯の光に照らされた部分に集中する。
「綾音川さん、だいじょうぶ、だいじょうぶだよ、だから、そんなに背中に張り付かなくても…」
ハルくんがちょっと困ったような声で言う。ユウちゃんは、さっきからハルくんの背中に顔をうずめたまま、ぴったりとくっついて離れてないの。
「だ、だ、だっ、だって、わたくしもう怖くて怖くて…大変申し訳ないのですけれど、もう少しこのままでいさせてください〜」
でも、ハルくん、少し歩きにくそうなことを除けば、なんだかまんざらでもないって顔してる。それを見て、アキちゃんが二人をからかう。
「おやおや、お二人さん、お熱いことで」
暗闇のなかで、ハルくんがぼっと顔を赤くする。
「ア、アキト、そ、そんな…」
「アキトさん、苛めないでください〜、わたくしは元から気が進みませんでしたのに〜。ハルさん…本当にすみません、ご迷惑でしょう…」
「そ、そんなことないよ綾音川さん、だいじょうぶ、だいじょうぶだからね」
「いや、悪かった。ちょっと冗談ってシチュエーションじゃないよな、これじゃ」
そこで、アキちゃんはこっちに向き直って、
「それにしても、しおらしくなっちまった綾音川とはうらはらに、かわいげのないやつも若干一名…」
「むぅ!かわいげがなくて悪かったですね!わたし、これくらい大丈夫だもん」
「ほーう。とか何とか言っちゃって。いざオバケが出てきたときに、こっちに泣き付いたりするんじゃないのか?」
「アキちゃんこそ、去年みたいに、わたしの方に抱きついたりしないでよね。くすくす」
「わ、バ、バカ!そんなことみんなの前で言うなって!」
わたわたと慌てるアキちゃんの様子に、ハルくんや、その背中のユウちゃんも、ついくすくす笑ってしまう。気がつけば、さっきほど夜道が怖くない。
でも、そのとき。
ほげぇぇぇえぇぇ…
遠くから、かすかな悲鳴。全員、思わずとびあがっちゃう。
「あ、アキちゃん、いまのって…」
「はは、ははは、演出演出、こんなの何かの演出効果に決まってるだろ」
「にしては、随分と真に迫った悲鳴だったねぇ…」
「ハル、何時でも冷静なのはいいことだけど、そういう分析は今はしてほしくねぇなぁ…」
「あわ、あわ、あわ、あわわわわ〜」
「ユ、ユウちゃん、落ち着いて…」
「それにしても」アキちゃんがひとりごちる。「今の悲鳴、なんかオヤジに似てたよなぁ…」
半魚人に化けていたきもだめし要員の一人は、悲鳴を聞いて飛び上がった。きっと閑古鳥のこの出し物に、運悪く入ってきてしまった客が上げた悲鳴だろう。ちくしょう、きもだめしの出し物が開始されてもう数時間経つってのに、この悲鳴だけは未だに馴れることができない。彼はなんとか心を落ち着けると、再び隠れていた木の根元に腰を降ろした。目を閉じて、早く係りの者が終りだと告げてまわってくることを祈る。そもそも、きもだめし係に回されたのは、係りを決めるクジに外れたからだ。こういうのはニガテだってのに。
正直言って、自分の今の姿だって見たくない。彼が考えたのは、メイクを落とすときに、鏡で自分の姿を見ることにならなきゃいいがということだった。このメイクは、実によくできているが、いささか、よくできすぎている。こんな不気味なものを身につけて悦に入っているのは、きもだめしの責任者の良治さんだけだ。
彼が毒づこうとしたその時、漆黒の闇に染まった森の奥から、何かが凄い勢いでこちらに向かって走ってくるような音が聞こえ、彼は再び心臓が止まるほど驚いた。
「なんだよ、なんなんだよ…」
暗闇のなかから、何かが…人影らしきものがこちらに向かってくる。彼はなけなしの勇気を振り絞って、脇に転がしてあった懐中電灯を手にとると、震える手で思いきってスイッチを入れた。
光のなかに浮かび上がったものを見て、彼が上げた悲鳴は、先ほどの悲鳴よりずっと大きかった。
「ぎょええええゾンビぃぃぃぃ!」
抵抗する暇もあらばこそ、たちまちのうちに彼はゾンビに組み敷かれた。圧倒的な腐敗臭に、最後の理性も失おうかというそのとき、ゾンビがこちらを揺すって、何かを言っていることに気がついた。
「落ち着いてくれ!オレだ、良治だ!落ち着けってのに!」
「う…ああ?りょ…良治さん…?」
恐怖のあまり息も満足につげなかったが、涙にうるんだ目でよく見てみると、確かにそれはゾンビに扮装した良治であった。それがわかると、次第に落ち着いてくると同時に、自分をわけもなく驚かした良治に腹が立ってくる。
「…一体なんだってんですか、良治さん。あんた、俺を死ぬほど驚かしたんですよ」
しかし、良治は彼の言葉に耳を貸す余裕すらないようだった。しきりに背後の闇をうかがっている。ひどく怯えているようだ。
「おい…えらいことになっちまった…なっちまったんだよ…早くここから逃げるんだ!」
話しているうちに逆上して叫ぶ良治に、彼の恐怖がわけもわからぬままにぶり返してきた。
「だから、いったい何なんだよ、良治さん!はっきり話してもらわないと…一体…」
その時、再び怯えた獣のように背後をうかがっていた良治がひっと息をのみ、つられて良治の視野の先を覗き込んだ彼も、良治が見ていたものを見ることになった。そして、それが彼が理性的に行った最後の行動となった。
彼らが見ていた森の奥、良治が駆けてきた森の奥は、先ほどまでは、暗闇のたちこめる森でしかなかったはずだった。
しかし、今や彼らの目の前に広がる森は、やすらかな闇に沈んだ先ほどの森ではなかった。暗闇の奥に、青白い燐光をまとった何かが、1つ、2つ…次第に数を増やしながら、森をかすかに青白く照らし、こちらに向かってくる。そして、燐光が人の形をかたどっていることに、その燐光の中に見えるものが何であるかに気がついたとき、彼は良治と共に、かんだかい悲鳴を上げながら、もつれる足で一散に山を駆け降りて逃げ出していた。
次の悲鳴は、さっきより大きく、長かった。
「もぉ、なんなんですの〜」
ユウちゃんはもう涙声になっちゃってる。わたしも、今では、何かがすごくおかしくなってることに気がついてた。それが何だかよく分からないから、わたし、ちょっとこわい…。
「なぁハル、オレたちもうけっこうな距離を歩いたよな。なのに…」
「うん。そろそろお化け役の人の一人や二人に出くわしてもいいころなのに、今までに一人も出会ってない」
わたしは別のことに気を取られてた。さっきから、空気が、なんていうか、おもく感じる…。
「それに…」
ユウちゃんがぐすぐす鼻をすすりながら言う。
「気がつかれまして?祭りの音が、先ほどまではかすかに聞こえていましたのに、今ではまったく聞こえませんわ」
アキちゃんとハルくんが息を飲む。
「ほんとだ…。っくしょう、一体ホントに、何だってんだよ…」
懐中電灯の小さな光の輪の中で、周りは一寸先も見えないような闇。
わたしは感じる…何かを…。
広場の出入り口に近い道路脇に、一台の黒塗りのワンボックスが停車していた。綾音川グループの黒服部隊の有する指令用車輛。
車の中では、幾人かの黒服オペレータが、情報機器を操作している。彼らの背後には、黒服隊長が控えている。彼の指揮の元、黒服部隊は常に綾音川ユウお嬢様の影となり、その身を守るのである。今回、彼らは追跡システムで、お嬢様の足取りをリアルタイムで捕捉していた。お嬢様が祭りの会場に入ってから数時間、今までは特に問題はない。
不意に車内にビープ音が鳴り響いた。オペレータの一人が緊張した面持ちで計器を操作する。隊長は肩越しにそのオペレータの見ている画面を覗き込んだ。
「どうした?」
「シグナルロストです。お嬢様の反応を…見失いました」
「慌てるな。まずシステムチェックを行え」
「システムチェック完了。診断プログラムは、当車輛の機材、会場内に設置した機材、諜報衛星『天帝キリストの子ら』、いずれにも問題を発見できませんでした」一息おいて「間違いありません。お嬢様の身に何かあったんです」
隊長は不意に胃の底に冷たいものを感じた。この追跡システムは、お嬢様がはめているブレスレットからのビーコン信号を拾い上げるものだ。ビーコンはお嬢様の脈拍と連動している。使用している機材は極めて信頼性の高いもので、こういった重要な局面で故障することはまず考えられない。お嬢様自身もブレスレットのことは知っているので、自ら外すと言うこともあり得ない。ということは、何らかの方法でビーコン信号が遮断されているか、あるいは…。
「シグナルロスト地点の座標は確認できているのか?」
「はい。裏山の散策路…今日の祭りで、きもだめしの出し物で使われているものです」
躊躇は危険を増大させるだけだ。隊長は無線を手に取った。
「こちら指令車。会場内の全黒服に告ぐ。問題が発生した。コード9270…シグナルロストだ。今から告げる座標に急行し、お嬢様、及びそのご学友の皆様の身柄を最優先で確保せよ。繰り返す…」
「ますますおかしいな…なんだか、木がどんどん密集してきてるような気がしないか?」
「アキちゃん…それに…この道、なんかおかしいよ。わたし、とうさまやかあさまとよくここに来るのに、この道、ぜんぜん見覚えがない…」
「すると、これは、道に迷ったってことになるのかな、アキト」
「そういうことになる…みたいだな。ちぇっ、でも、この道、一本道のはずだぜ?」
「でも、もうお祭りの音も聞こえませんし、木の間から見えていた祭りの光も、今ではまったく見えませんわ。それに…空。気がつかれまして?暗いんです。ここは町に近いただの裏山だから、空の雲などに、町の明りが映り込むはずなんです。なのに、ここは…まるで、人里離れた山のただなかのよう…」
わたしはユウちゃんの話は聞いていたけれど、心ここにあらずって感じ。何か…わたしの中で…何かが…。周りがどんどんおかしくなるのに答えるかのように、その感じもどんどん強くなってくる。これ、前に、かあさま言うところの「鎮護の相」が起きたときと似てる…でも、あの時よりも強くて、あの時と何かがちがう…。
その感覚は頭のなかをちょうちょのようにひらひらと舞っていて、わたしにはまだつかまえられない。でも、この感じをつかまえることができれば、たぶん…。
「…たん、りりたん!おい、ぼーっとしてるぞ、大丈夫か?」
「…え?あ、うん…だいじょぶ」
「無理もないよな…こんなことになったら、誰でも疲れるって」
アキちゃん…違うんだけど。でも、ありがと。
「とりあえず、様子が分かるまで、これ以上むやみに動きまわるのは、よしといた方がよさそうだな。で、綾音川。そのブレスレットの話だけど…」
わたし、ボーッとしてるあいだに、話を聞き逃しちゃったみたい。まだひらひらする感じは残ってるけど、ユウちゃんの話をよくきかなきゃ。
「ええ。このブレスレットは発信器になっているんですけど、今回のような緊急事態の場合、こちらから救難信号を送ることもできるんです。このスイッチを押せば、救難信号を送ることができます。この裏山程度の捜索範囲なら、信号発信から10分以内で黒服がこちらを確保してくれますわ」
「じゃあ、これを作動させれば、今回の騒動も一段落ってわけだね」
「そういうことになりますわ、ハルさん。では、よろしければ、早速信号を送りますけど…」
「よろしいもよろしくないもないぞ。さっさと送ってくれ」
ユウちゃんはブレスレットをカチリとひねった。ピッと音がして、小さな赤ランプがピカピカ点滅しはじめた。
「さぁ、これでいいですわ」
「でも、これ、実は公園のすぐ近くだった、なんてオチだったら大笑いだよな…」
黒服部隊の指令用車輛では、なおもお嬢様のシグナルの捜索が続けられていた。
「どうだ…シグナルは復帰したか?救難信号の受信も確認できないか?」
オペレータが答えた。重い声だ。
「通常信号、救難信号、未だにどちらもキャッチできていません」
もう、10分以上はぜったい待ったと思う。
「…こないですわね、黒服…」
「ブレスレット故障したんじゃないのか?」
「それはないと思いますけど…最後の定期点検はつい3日前ですし」
「ふぅ…こうなると、今夜はここで野宿か…」
そのときだった。何かに頭をくいっとひっぱられるような感じ。
「誰か…誰かいる!」
「な、なんだよりりたん!脅かすなぃ!」
「あ…でも、ほら…」
「きゃ…」
ハルくんとユウちゃんが指さす暗がり、その先…。
きれいな女の子だった。わたしたちと同じくらいの年の。おかっぱ頭に、着物を着ている。わたしたちがいる、少し先の暗がりで、膝を折ってしゃがんでいる。肩がときどき、かすかに震えてる。泣いてる…みたい。
女の子は、青白くかがやいてた。女の子の向こう側にあるものが、かすかに透けて見えていた。
「あ、あ、あれ、あれ、あれ、あれ、あれあれ、お、お、おい…あれって…」
「幽霊だねぇ…アキト」
「あれが…本物の幽霊ですの…怖いものかと思ってたけれど、何だかあの幽霊、悲しそうですわ…」
わたしは、気がついたら、幽霊さんに近づいていた。頭のなかのひらひら漂う断片が、一つに…。
「お、おい、りりたん、不用意に近づいたらアブナイぞっ!」
わたしは幽霊さんの前にしゃがみこんだ。不思議と、この子は何も悪さなんてしないだろうって、わかってた。
「こんばんは」
女の子が顔を上げた。青白い、薄い輝きの下で、女の子の目が涙でうるんでた。きれいな目。
『……』
「わたし、りりたん。りりたんっていうの。あなたのおなまえは?」
女の子は黙っていたけど、すこしして、聞こえないくらいの小さな声で、
『…さよ…』
「さよ、ちゃん?いいおなまえだね。よろしくね、さよちゃん」
『……』
女の子が、すこしだけうつむいた。照れてるみたい。
「ね、さよちゃん。どうして…泣いてるの?」
女の子は、少し言いよどんだようだったけど、ややあって、
『ととさまが…』
「さよちゃんの、おとうさん…?」
『ととさまが…おこってるの』
「おこってる…の?どうして…なのかな」
『さよを…さがしてるに…みつからなくて…だからなの』
断片が、頭のなかの無数のひらひらが一つに…。
『さよも…ととさま…さがしてたの…ずっと…ずっと…さがしてたの…』
「ととさまは、みつかった?」
『…うん。でも…ととさまには…みえてないの…さよのこと…』
今、全てが収まる、一つに…。
「どうして…みえてないのかな…」
『…ととさま…おこってるから…おこってて…みえていないの…ほかのこと…さよのことも…ぜんぶ』
「……」
一つに…。
『…ととさま…やさしいのに…やさしかったのに…いま…おこってて…さよのことも…みえてないの…』
すべてが…。
『…りりたん…ととさまを…たすけて…あげられる…の?』
「!」
『りりたん…おねがい…ととさまを…たすけてあげて』
たすけてあげて。その言葉が、すべての引き金になる。頭の中に漂っていた、すべての断片が、その瞬間、一つになる。
頭の中に、どっとあふれ出す言葉。力。わたしにできること。できないこと。わたしがしてあげられること。目の前にいる女の子にしてあげられること。女の子のととさまにしてあげられること。
わたしが、できること。
生まれ変わったような気分。体に力が、頭に智慧があふれてる。
「…たすけてあげるよ。わたしが、さよちゃんのととさまを、たすけてあげる」
『たすけて…くれるの…?』
「うん!だから、安心して。だいじょうぶだよ。いっしょに、ととさまのところに行こう?」
アキちゃんたちが、おそるおそる近づいてくる。
「おい…こいつ…オレたちを取って喰ったりしないだろうな…?」
「もう、アキちゃんてば!さよちゃんはそんなことしないよ。あ、さよちゃん、こっちがアキちゃんで、こっちの二人はハルくんとユウちゃん。みんな、おともだちだよ」
『…おとも、だち…?』
「さよさん…で、よろしいのかしら?わたくしは綾音川ユウ。よろしくね、さよさん」
「僕はハル。おともだちになれてうれしいよ」
「だぁーっ、お前ら、なんでこんな得体の知れないものに自己紹介なんて…わかった、わかったってば!オレはアキト。アキトでも、アキちゃんでも、アキトさんでも…とにかく…好きなように呼んでくれ」
『ユウさん…ハルさん…アキトさん…りりたん…みんな、おともだち?』
「そうだよ。みんなおともだち」
女の子が、わたしたちに出会ってから、はじめて、ほほえんだ。
「さぁ、ととさまをたすけに行こうよ。あんないしてくれる、さよちゃん?」
『うん…うん!』
「おいりりたん、こっちにゃさっぱりわけがわかんねぇぞ!だいたい、そのととさまって何だよ。助けるって、一体何をやらかす気なんだ?」
「ととさまは、さよちゃんのおとうさんだよ。何をするかは、ととさまに会ってからのお楽しみ」
「だぁっ!どうせそのととさまとやらも幽霊なんだろ。えーい、もうどうにでもなれ!」
わたしたちは、ふわふわ浮かぶさよちゃんの後について歩き始めた。もう、わたしはこわくない。さっきの瞬間に、自分が何をすればいいのか、わかったから。何でかはわからないけど、いまはいいの。たぶん、かあさまに聞けば教えてくれると思う…。
「オレはコワいぞ!ったく、わけわかんねぇぜ…」
わたしたちは、再び森の暗がりの中へと戻っていった。