祭りは、突如として大混乱に陥った。
 山から、この世のものとは思えぬようなバケモノが駆け降りてきたのだ。ゾンビ、半魚人、ドラキュラ伯爵、お岩、のっぺらぼう、一つ目小僧、ろくろ首…それらが皆、半狂乱になって泣き叫びながら、人々のただ中に飛び込んできたのだ。たちまちの内に、祭り全体が阿鼻叫喚の巷と化した。ただし、運悪く射的屋方面に出てしまったバケモノは、残らずゲンさんのモデルガンの餌食となった。

「おらぁ、バケモノども、来るなら来やがれ!この射的屋ゲンとレミントン&ペイント弾がおでむかえだぜぇ!」

 大混乱の中、良治はやっと話の通じそうな人間を捕まえた。
「おい、神主さん!りりたんの親父さん!ゾンビじゃない、俺だ、良治だ…」
 相手が悪かった。次の瞬間、良治の視界が逆転した。
「バケモノくらェェ!一本背負いィィィィ!」
 ずどーん。彼をしこたま地面に叩き付けてから、神主はやっと相手に気づいたらしい。
「なんだ、ゾンビかと思えば、アキトくんの親父さんじゃないかぁ。いやぁ悪い悪い、わっはっは」
 良治は全身の痛みをこらえながら、神主に手助けされて起き上がった。
「だいたい、あんたが紛らわしい格好をしてるのも悪いんだぜ、わっはっは」
「…わっはっは、じゃないぞ…えらいことになった、なっちまったんだよ…」
「あんたら、きもだめしのお化け役が、全員この祭りの会場に乱入してきた時点で、十分えらいことになってるとは思うがなぁ」
「…ちがう、ちがうんだ…他の奴らも逃げてきたんだ…きっと…」
 神主が、不意に真面目な顔つきになった。今の言葉に、ただならぬものを感じたらしい。
「どうやら、たちの悪い冗談って訳じゃなさそうだな。何があったんだ、良治さん」
「それは…」
 説明しようとした瞬間、再び脳裏に、山の中での恐怖の時間がよみがえった。ふりむいたときに見えたもの、青白い燐光の中に見えたもの、群れをなして彼を襲ってきたもの…。
「…落武者…」
「!?」
「…落武者だ!落武者の幽霊が出たんだ!群れで俺たちを襲ってきたんだ!祟りだ、何かの祟りに違いない!ホントなんだ、信じてくれよぉ!」
「落武者…だと…?」
「あなた!」
 不意に声。神主がふりかえると、彼の妻が人の波をかき分けてこちらに向かってくるところだった。
「美晴か!きもだめしの奴らが、そろって山から逃げ出してきたらしい。山に…山に何か感じるか?」
「ええ、わたしもそのことであなたを探していて…ええ、感じます。祭りに気を取られていたから、ついさっきまで気がつかなかったのだけれど…強いです。これは、まさか…」
「認めたくはないが、そのまさからしい。良治さんが落武者の霊体を見たと言っている」
「なんてこと…もうすっかり鎮まっていると思っていたのに…」
「業魔、だな…追討されて滅びた落武者の魂、そいつが、理不尽に滅ぼされた怨みのあまり、気の遠くなるような時間をかけて、自らの裡に業魔を宿らせてしまったんだ。しかし、よりにもよって今日を選ばなくても…」
「業魔は時を選んではくれませんわ。感じます…赤い…熱い…渦巻く炎のような…重い…この肌を刺すような痛みの感覚…きっと、『怒り』を司る業魔です」
「自らに『怒り』を宿らせるほどに…よほど滅ぼされて恨めしかったんだろうな…昔に死んだこの落武者たちは…」
「ええ、ええ、そうですね…わたし、彼らがこうなる前に、なにかしてあげられたはずなのに…気づいてあげられなくて…」
「気持ちは分かるが、今は自分を責めるのはよそう、美晴。こうなってしまった以上、その落武者の魂から業魔を祓うしかない。わたしたちにしかできないことだ。今すぐ、業魔の支配する領域に踏み込めそうか?」
 美晴は山をふりあおいだ。空気中に漂う何かを感じ取ろうとするかのように、両手が左右に差し伸べられる。
「…無理、みたいです…。今は業魔が覚醒したばかりで、勢力が一番強いときです。おそらく、今無理に踏み込んだところで、惑わされるのが関の山です」
「じゃあ、俺の身を護るためのものやら、業魔を押さえるためのものやらを神社に取りに行くだけの時間はありそうだな。しかしのんびりとはしていられない」
「わたしはここで、これ以上何か起きないかどうか様子を見ます。これ以上業魔の力が拡大するようなら…急いでください、あなた」
 しかし、次の瞬間、別の方向から聞こえてきた叫び──おそらくきもだめしの受付係をしていた人間だろう──を聞いた瞬間、2人は凍りついた。
「まだ…まだきもだめしの散策路の中に子供たちが残っているんだ!早く外に出してやらないと!」
 美晴は、先の救護テントで、アキトが言っていたことを思い出していた。りりたん、あの子たちは、次に一緒にきもだめしに行くと言っていなかったか──。
 あの子たち、あの子たちが、業魔の領域に取り込まれたままだというのか。
「美晴…まさか、りりたんは、あの子たちは…」
「…なんてこと。ああ、なんてことなの」

 指令車のなかでは、黒服隊長が、信じられない状勢に出くわしていた。
「散策路に突入した黒服A隊…全員シグナルロストしました…」
 なにごとだ。一体なにごとが起きているというのだ。
「B隊、C隊、状況を報告せよ!」
『黒服B隊、全員異常無し。これより突入します』
『黒服C隊、現在突入中。これまでのところ異常はありま』
 スピーカーが一瞬、かすれたヒス音をたてた。C隊の通信が突如として途切れたのだ。
「オペレータ!C隊の通信は…」
「C隊、全員シグナルロストしました!一瞬にして全員がです。信じられません」
 隊長は我知らず毒づいていた。
「くそ!状況が悪すぎる。B隊の突入は一時中止。要請した応援が到着するまで…待機する」
 今もなお、危険な暗い森に取り残されたお嬢様のことを考えると、隊長は自分の下した決断のふがいなさに、我が身を引き裂きいてやりたいような気分だった。
 だが、状況はとどまるところを知らない。
「B隊、たった今、全員シグナルロストしました…」
「なんだというのだ…一体、あの森のなかに何がいるというのだ」

 いまではもう、みんな感じていた。近い。さよちゃんのととさまは、すぐ近くにいる。
「なん、なんだ…なんか、落ちつかねぇ…」
「うーん、さっきからどんどんそんな感じだねぇ…なんなんだろうねぇ…」
「う〜…これは、純粋にわたくしの勘ですけれど、これ以上進むと、なんだかとってもよろしくないことが起きそうな気がしますわ…」
 わたしたちは懐中電灯の光だけを頼りに、真っ暗闇の林の中を歩いてきていた。一歩進むごとに、さよちゃんのととさまが「おこっている」というのが感じられる。他のみんなは、わたしほどには感じないかもしれないけれど、わたしには、それは、熱くてじめじめした風が吹き付けてくるよう。
「さよちゃん…ととさま…もうすぐだよね」
『ととさま…ちかくなの…でも…』
「でも…なに?」
『ととさま…おこってるの…さっきよりも…もっともっと…』
「うん…」
『りりたん…みんな…ここまできてくれて、ありがと…でも…もういいよ…』
 わたし、おどろいちゃった。
「さよちゃん!どうして…?」
『ととさま…おこってるから…みんなのことも…きっとおこるの…そうすると…みんな…きっと…いたいよ』
「さよちゃん…」
「つまるところ、さよの親父さんは、何だかよくわからんが怒っててみさかいがなくなってるから、出会ったとたんにオレたちに襲いかかってくるかもしれない、ってことか?」
 いままで、さよちゃんからはちょっと離れていたアキちゃんが、わたしたちの方にちかよってきた。
「そう考えて…いいんだな?」
『うん…』
「で、それでもし、オレたちが引き返したとして…」
「アキちゃん!」
「お前はどうするんだよ、さよ」
 あ…。アキちゃん、ごめん…。アキちゃんが言おうとしてるの、自分のことじゃなかったんだね…。それに、アキちゃん、ここまで一緒に来てくれたのにね…。ごめんなさい、アキちゃん。
『…ととさまに…』
「ととさまにもう一度話しかけてみる、と?でも、またととさまが気づいてくれなかったらどうするよ。それか、今の話からするとこっちの方がありそうなんだが…もっとひどいことになったら?」
 もっとひどいこと。わたしも、さっきからときどき、それを考えてた。さよちゃんにはかわいそうだから言えなかったけど、ととさまがもう、さよちゃんのことすらわからなくなっていて、わたしたちにそうするかもしれないように、さよちゃんに手を上げようとしたら。
『……』
 薄い青白い燐光に包まれたまま、うつむいたさよちゃんの悲しそうな顔は、さよちゃん自身が、実は一番そのことを考えてたって言ってる。
『…でも…』
 そこでさよちゃんは、顔をあげて、
『それでも…ととさまは…さよの…ととさまだから…』
 さよちゃん…。
 アキちゃんの口調がちょっとやさしくなった。落ち込んでたわたしを、はげましてくれたときみたいに。
「だろ?オレはまだユーレイは、正直言ってニガテだ。だけどな、それ以上に、ここまで来て、そんなさよをほっぽったまま引き返すなんてのは、ちょーっとできないってことさ。他の奴らも、りりたんも、みんなそう思ったから、ここまで来たんだぜ」
「そうだよ、さよちゃん」ハルくんだ。「アキトの言う通りだよ。みんな、君の力になりたいんだ」
 ユウちゃんが続く。
「わたくし、やっぱりまだちょっと怖いですけれど…それでも、ユーレイさんでも、おともだちをおいてきぼりにするなんて、できない相談ですわ」
「そうだよ…だから、もうそんなこと言わないで、みんなでととさまと話をして、ととさまにわかってもらおうよ、ね?」
 さよちゃんの目にみるみる涙があふれていく。でも、悲しいから…じゃないよね?
『みんな…ありがと…さよ…うれしい…』
 みんながあたたかい気持ちになった、そのとき。

 友を思う心とは美しいものよの、我を滅ぼした下賤の民の末裔よ

 温度がそれと分かるほど下がる。寒い。
 わたしたちは周りを見る。星の光も木の葉で遮られるような森のなか、光といえば、わたしたちの懐中電灯だけだったはず。なのに、見れば、周りはもう暗くない。わたしたちを輪に囲んでいる…青白く辺りを照らす、燐光のように光を放つ、何かが…。
「何だッ!?」
「きゃあぁぁぁ、ユーレイさんたくさんおでましですわ〜!」

 戦に破れ、この地に落ち延びた我ら
 あのときは、ただ余生をこの地で静かに過ごすのだけが望みだった

「アキト、まずいよ!アキトはりりたんを!僕は綾音川さんを守る!」
「合点承知!…だけど、素手で一体何ができるんだ…?」

 だが、時の領主が我らにかけた褒賞金に目がくらんだ、貴様らの遠い父母
 下賤の百姓どもが、我らを追い詰め滅ぼした

『ととさま!やめて!さよのおはなしをきいて…むかしのととさまみたいに…!』

 儂は殺され、さよは誰にも養われることなく飢え死んだ
 仲間を滅ぼされた怨み、愛娘を奪われた怨み、忘れはせぬぞ、下賤の末裔よ…

「さよちゃんのととさま、聞いて!さよちゃんは…ただ、昔のやさしかったととさまといっしょにいたいだけなの!さよちゃんはここにいるんだよ!怒らないで、さよちゃんを見て…!」
 声の調子が変わった。

 ほうほう、さよか…ほおお、確かにさよだ…

 わたしたちの目の前に、青白い人魂が浮かび上がった。ひとつ、ふたつ…たくさんの人魂がよりあわさって、ひとつになる…。
 よろいを着てた。こどもの日に、アキちゃんの家に飾ってあった五月人形みたいなよろい。でも、こわれて…よごれて…背中には矢がささってて…。からだじゅうが傷ついてて…。
『ととさま…ととさま!』
 ととさまなんだ。今目の前に立ってる幽霊の男の人が、さよちゃんのととさまなんだ。

 さよ…さびしかったろう…すまぬ…さあ、こちらにおいで…

 さよちゃんがよろいの人に向かって漂い出す。わたしは、喉がからからになって何も言えない…。
『ととさま…ととさまだよね…さよ…』

 さよ…おいで…そして…共に…滅ぼそうぞ…我らを滅ぼした者の末裔を!

 さよちゃんの動きが止まった。そして、わずかに後ろに退く。

 さよ…?

 さよちゃんの目から、一筋の涙がこぼれた。
『ととさま…おぼえてる?…けがをしてあるけなかったこだぬきを…さよがおうちへつれてかえったとき…ととさまのおともだちは、たぬきじるにしてたべちゃおうっていったけど…ととさまは…そういったおともだちのことをしかって…やくそうで、こだぬきのけがをなおしてくれたよ…さよがととさまに、ありがとうっていったら…ととさまこういったよ…』
 さよちゃんの涙は、ちいちゃなほおをつたって流れ落ちた。
『ととさま…もういきものはころさないって…それが、いままでいくさでころしてしまったひとへのせめてものつぐないだって…ととさま…そういったよ…』
 さよちゃんは、はっきりと、ととさまから後ずさった。
『ととさま…ととさまじゃない!さよのととさまを、かえして!』
 ととさまが笑った。にやりと。わたしは、あの不気味な笑顔は、もうわすれられないとおもう。
 哄笑が響き渡った。

 我が娘なれど、所詮は斯様な軟弱者か…
 よいよい、ならば…共に滅べ!

 周囲の青白い人影──落武者の亡霊たち──が爆発した…ように見えた。
 次からしばらくのことは、切れ切れにしかおぼえてない。たくさんの青い落武者の魂が、たつまきのように辺りを吹き荒れたことはおぼえてる。アキちゃんがわたしの手をしっかりとつかんで、わたしに何か叫んだこと、次の瞬間、青い煙のような光のがわたしたちに突進してきてわたしたちを突き飛ばしたこと、ハルくんとユウちゃんの長く尾を引く悲鳴が聞こえたこと、吹き荒れるものに、みんな、木の葉のようにほんろうされたこと、そんななかで、いたいほどにつなぎあっていた、わたしの右手とアキちゃんの手が、もぎとられるようにしてはずれたこと。さよちゃんのか細い悲鳴が聞こえたこと。そのあいだじゅう、さよちゃんのととさまの笑い声があたりにずっと響き渡っていたこと。
 わたしはめちゃくちゃにふりまわされて、なにもわからなくなってしまった。ふっ、と風がなくなったかと思うと、不意に身体中に衝撃。地面に叩き付けられて、目の前が暗くなる。暗転。

 顔に当たる土のにおいで、わたしは目がさめた。うつぶせだ。体を起こそうとすると、全身を走り抜ける痛み。片手を顔のそばについて、かろうじて顔を上げる。
 わたしの世界は青白かった。まだ森のなかだけれど、わたしの周りを、青白い亡霊が取り巻いている。正面のひときわ目立つ亡者は、ととさまだ。
 アキちゃんが、ハルくんが、ユウちゃんが…さよちゃんが…みんなの姿が、見えない…。

 「祓う者」の血筋か…

「さよちゃんの、ととさま…やめて」必死で声を絞り出す。「さよちゃんを、かなしませないで…」

 儂がこの恵み深き力を得たときに、よりにもよって「祓う者」とは…
 幼くとも我ら業魔に仇なすものの血筋、容赦はせぬ…

 その時、見えた。ととさまの背後にいる、大きなもの…ととさまの魂に巣食い、ととさまを傀儡のようにあやつっているもの。

 案ずるな、お前の親兄弟も続けて皆葬り去ってくれる
 我らを滅ぼした者の末裔に永劫の苦しみを…

「そう…そうなんだ…ととさま…あなたは…そんなひとじゃ、ないんだよね…」
 頭のなかで、最後の断片がひらひらと舞落ちる。鍵となって…くるりと回り…。

 「祓う者」よ…いざ、滅びよ!

 業魔。今まで聞いたこともない言葉が頭のなかで響き渡り、谺する。ととさまが手に持っていた刀を振りかぶり…。
 最後の断片があるべき位置に収まり…。
 そして、始まる。

 光があふれた。暖かい、白い光。光は奔流となってほとばしり、青白い亡霊たちを、死に属する色の青を押し流していく。光はほとばしり続ける。わたしの体から。
「でも…」
 体が動く。痛みが嘘のように消えていた。
「ととさま…あなたは、弱いわ…」
 地についた手に、腕に力を込めて、体を起こす。体がいつもの倍以上の高さに持ち上がった。手を見る。見慣れた、ちょっとぽっちゃりした、いつもの手ではなく、細く、優雅さをも備えた、白い手。
「ととさま…あなたがその身の裡に業魔を宿すようになった、その同じだけの永い、永い時間、さよちゃんは、さよちゃんの魂はこの山に縛られ、さまよい続けた…あなたをさがすためだけに、よ…」
 体が動く。いつもと違う。それでいて、完全にいつもと同じ。頭を振ると、長く、つややかな黒髪が流れる。
「それでも、さよちゃんは、たった独りで堪え続けた…寂しさに堪えて、あなたを探し続けた…あんな幼い子にできたことが…なぜ…あなたにはできなかったの…なぜ、待っていてやれなかったの…」
 膝をつく。身を起こすと、白い光がこぼれ落ちる。膝立ちでみる世界は、いつもの目線の高さだ。
「そして…その弱さが…あなたの身の裡に業魔を育んでしまった。自らを滅ぼしたものに対する怒り…それが、業魔の糧になった…。そして今、あなたは逆に業魔の傀儡へと落ちぶれた…」
 立ち上がる。体が一層の白光を帯びる。視点は一層上へと。高く。大人と同じであろう高さへ。体の線が、女性の優美な曲線を描く。
「でも…わたしは、取り戻してみせるわ。あなたのかつての微笑みを。そして…さよちゃんの微笑みを」
 いつもは慈愛の色を帯びた二つの瞳が、今は氷の針となって、目の前の亡霊を…業魔を刺し貫く。
「そして、業魔…哀れな魂に巣食い、悲しみしかもたらさないものよ…」
 白い光が、あふれる。
「あなたを、祓います」

 顔に当たる土のにおいで、オレは目がさめた。
 ったく…一体何があったんだっけか…そうだ、バケモノに取り囲まれて…まったく、オバケの乱舞なんてそうそう見られるもんじゃないぜ。オレの4年間の人生の間で、いや、たぶんこれからの人生でも、ありゃあトップレベルの出来事だろな…。怖かったといえば怖かったんだが、とりあえずオレは五体満足みたいだからよしとしよう。
 オレは…?
 オレは飛び起きた。周りはほとんど真っ暗だが、すぐそばに安心するような光…落とした懐中電灯だ。オレは懐中電灯を拾い上げると、辺りを照らして、大声で叫んだ。
「おおーいっ!りりたーん!ハルー!あやねがわー!それに、成仏してなかったら、さよー!いるんなら、返事しやがれーっ」
「アキトさん」
「どわっ!?」
 びっくりするほど近くから声が聞こえて、オレは飛び上がった。ふりむいて懐中電灯を向けると、ハルと綾音川がいた。ハルが綾音川を背負っている。
「よかった、無事だったか…って、おい、綾音川。お前、どこか怪我したのか?」
「軽く足を捻っただけです。わたくしは大丈夫だって言ったのですけれど、ハルさんが大事を取れって…」
「こういう怪我は、なめて無理すると後がひどいよ」と、ハル。
「わかったわかった。で…さよと…りりたん…は?誰も見てないのか?」
「さよさんなら、そこです…」
 綾音川が指さす先を見ると、確かにさよがいた。でも…。
「おい、さよ!お前、今にも消え入りそうじゃないか!?大丈夫なのか」
 さよの姿は不安定に揺らいでいた。今すぐかすみになって消えちまいそうにみえる。
『だいじょうぶ…なの』
「だいじょうぶじゃないよ。亡霊たちが襲いかかってきたとき、僕たちをずっと守ってくれたのはさよちゃんなんだ。亡霊たちは不意にいなくなっちゃったけど、そうでなかったら、ホントにあぶなかったよ」
『だいじょうぶ…ハル…だいじょうぶなの。よかった…みんな…だいじょうぶで』
 ちぇっ、ちょっと泣けそうになっちまった。
「ありがとよ…さよ」
『どう…いたしまして』
「で、よ…」
 オレは口にしたくない疑問を口にした。口にだすと、悪い方向に流れちまいそうで…。
「りりたんは…りりたんは、どこいったよ」
 3人の目がオレからそれる。
「おい…冗談…だろ?誰も見てないのか…りりたんのこと」
 さよの口が、言いにくそうにもぐもぐと動いた。
「さよ…何か知ってるなら、はっきりと言ってくれ。頼むから」
『りりたん…つれてかれた…ととさまに』
 一瞬、目の前が真っ暗になった。木の葉のように翻弄されているときに、ついにオレの手から外れたりりたんの手の感触が鮮やかに甦る。畜生、あの手は…あの手は、死んでも離すべきじゃなかったんだ!
 口が独りでにののしろうとする前に、目の端に何かが捉えられる。光だ。白い。
 オレの口が閉じて、また開いた。
「おい、あの光…」
 次の瞬間には、オレは暗闇をものともせず、光に向かって駆け出していた。光は木々の間を縫ってここまで届いている。後ろから他の奴らの驚く声が聞こえてきたが、構っている暇はない。なぜかは分からないが、あそこに待ってるような気がしたんだ。あいつが。
 走りながら聞こえる音は、オレが地面を蹴る音、草木がかき分けられる音、おれ自身の息づかい。木の根につまづいて転ぶ。身を起こして、再び走る。光に向かって。
 光は以外と近かった。木々は不意に開け、視界が広がる。そこでオレはさらにぶっ飛んだものを見ることになった。

「滝だ…」
 小さいけれど、滝だった。きっとオレたちの町を流れている川の源流に違いない。周囲は見渡せる程度に開けている。広い。
 その場所は暗闇ではなかった。二つの光が辺りじゅうを照らしていたからだ。一つは…赤。一つは…白。先に赤い方を見たオレは、もう一回気絶したいような気分になった。
 ととさまだ。だが、ととさまの青い光は、その背中に張り付いてるもの──というより、ととさまがそいつの胸に張り付いてるって言った方が正しいんじゃないか?──が発する赤い光にすっかり飲み込まれていた。どす黒い赤の燐光に覆われたそいつは、まるで、昔話に出てくる鬼だ。しかし、鬼なんて生易しい言い方じゃこいつのことなんか伝えられやしない。腕は半ばタコのような触手だし、顔は、ほとんど口でできてるんじゃないかと思わせるほど口がでかくて、物々しい牙が並んでいる。胴は…足は…冗談じゃない!
 オレは目を無理矢理そいつから引き離すと、白い光の方に目を向けた。この光、見てるだけで暖かくなれるような、柔らかい光だ…。オレは目を凝らして、光のなかを覗き込んだ。それほど難しい芸当じゃなかった。この光、光源を見ても、なんでか目が痛くならない。そして、その光の中央にいるのは…。
 女の人だ。それも極上。りりたんが着ているような巫女装束姿。白く輝き…バケモノと戦ってる。

 「祓う者」め…おのれ、おのれ、おのれ!

 バケモノが腕を振るうと(ちなみに、オレはこいつの声を聞くだけで気絶しそうになった)、燐光がそいつの体から離れ、無数の火球になって巫女さんを襲った。巫女さんは避けない!火球が燐の炎の尾を引いて、巫女さんに…。
 当たらない。巫女さんが軽く腕を振るうだけで、どこからともなく火花散らす白く輝く光の幕が広がり、火球は全てそれに当たって砕けた。
「もう…お止めなさい」
 巫女さんが動いた。疾風のような早さでバケモノとの間を詰めると、両手に宿した白炎をバケモノに叩き付ける。清めの炎はあっという間にバケモノの全身を包んだ。断じてこの世のものとは思えない絶叫が響き渡る。ちくしょう…さっさと気絶してりゃ楽だったろうになぁ…オレ。

 白炎を振り払ったバケモノが、正面に見たものは、滝を背に浮かび上がる巫女さんの姿だった。
「どうしても…その魂から…立ち去らないというの?」

 知れたこと…長い時を経て、やっと手にいれた魂の器だ…どうして手放すことができようか…

「ならば…」腕をバケモノの方に伸ばす。「退散してもらうわ」
 光が、白い光が、伸ばした腕の先に収束する。軽く握り締めた拳から、上下に光の帯が伸び上がり始めた。
「この世には、この世界に未練を残したまま消え去ることのできない、可哀想な魂たちがいる…」
 光の帯は弓なりに伸び、最後に閃光と共に先端部がつながると、光輝く弓となった。
「そして、そういった魂を食い物にする、お前たち業魔が存在する…」
 巫女さんの目がかすかに険しくなる。もう一方の手が、矢をつがえるように動く。弓の弦を引くと、光輝く矢がその後に残った。
「わたしのちからは微々たるものかもしれないけれど、それでも、わたしの働きで笑ってくれる人たちがいるのなら…わたしは…祓い続ける。さよちゃんのような魂が、もう一度安らぎを得られるのなら…」
 矢じりが業魔に向く。狙いはピクリとも動かない。もはや動けない業魔が、最後に口惜しそうに吠え…。

「業魔よ!その魂から、去れ!」

 光の矢がが放たれた。光の尾を引き、唸りを上げて、光の矢が…業魔を貫いた。ととさまはそのままに、矢は業魔を縫い止め、業魔をととさまから引き剥がして、業魔だけをはじき飛ばした。
 業魔の断末魔の絶叫が響く。業魔は空気が抜けた風船のようにみるみる縮んでいき…最後の絶叫が尾を引いて宙に消え去ると同時に、その姿も消え去った。

 すげぇ…。
 オレは木の影から一部始終を見守っていた。ほとんど何が何だか分からなかったが、とにかく、悪い奴は退治されたってのだけはなんとか分かった。オレは少しだけ身を乗り出し…。
 …巫女さんと目があった。
 うわっ!こんな後で、なんて挨拶したらいいんだ!つーか、それ以前に、これ、覗き見ててよかったのか!?
 巫女さんは全然気にしてないみたいだった。にっこりと微笑むと、まるでスキップでもするかのように、ちょっとした公園並みの幅の距離を、ぴょんとひと飛びして、オレの前に降り立った。なんてこった。
 オレ、めっちゃピンチ!
「わ、あ、あの、オレ別に邪魔するつもりじゃなくて、その、あの、いや、なんかここが…いや、なんでここが…」
 巫女さんがくすくすと笑った。
「慌てなくてもいいわよ、アキちゃん」
「へ?」
 オレが名前を呼ばれた驚きを克服もできないうちに、巫女さんは微笑んで、しゃがみこんだ。目線の高さが一緒になる。
「りりたんをさがしているんでしょう、アキちゃん」
 混乱していたけど、オレはその一言で我に返った。
「そうだ!オレ、あそこのユーレイ…いや、さっきのバケモノか?ともかく、そいつにりりたんをさらわれて…もしかして、お姉さん、りりたんがどこにいるか知ってる!?」
「知ってるわ。すぐそばにいるわよ」
「すぐそばって…どこに?」
「大丈夫。すぐに見つかるから。それより、今はさよちゃんを早くととさまに会わせてあげて。二人とも会いたがっているわ」
「ああ…わかったよ」
 しかし、この人…すぐ近くで見ると、やっぱりものすごくきれいだ。なのに…どこかで会ったような気が…。
「さぁ…わたし、もう行かなきゃ」
「もうって…」
 巫女さんが手を伸ばして、オレの頬を撫でた。いたずらっぽく微笑む。
「また、会えるといいわね」
 オレのハートがハイテンポのブレイクビーツを刻み始めた。
 きれいなお姉さんは、好きですか。
 好きだ。ものすごく。
「ほら、みんなもこっちに来たみたいよ」
 オレが弾かれたように後ろを見ると、綾音川を背負ったハルと、まだ相変わらずゆらゆらしているさよが、こっちに向かってきているところだった。さよの体からの光で、3人の姿は、闇の中、淡く浮かび上がっている。
 オレは後ろを振り返った。
「でも、お姉さん、あんた一体…」
 巫女さんの姿はなかった。

『さよ…おお、さよ…さよ!』
『ととさま…ととさまぁ!』
 オレたち3人は、ン百年ぶりの感動の親子の再会の場に立ち会うことになった。幽霊二人は固く抱き合い、そのまま涙を流しあった。
「よかったですわ…よかったですわね…」
 綾音川の奴、本気でしゃくりあげてやがら…。
『きみたちが、さよをわたしと引き合わせてくれたのだな。この次郎衛門、何と礼を申してよいのか…言葉では言い表せぬほどだ。ありがとう。ほんとうにありがとう』
 ととさまの名前は次郎衛門と言うらしい。
「つーか、礼ならりりたんだな。さよに最初に話しかけたのはあいつだし、そうでなかったらさよに近寄ったかどうかすら…って、しまった!りりたんはッ!」
『りりたんなら…しんぱいないよ』
「何が心配ないよだよ!あのバケモノにさらわれてからこっち、りりたんは…」
 さよが微笑む。心からの笑顔だ。
『だって…ほら。うしろ』
「うしろ…?」
 オレたちは揃って後ろを振り向いた。すると…。
 夜が明けようとしていた。空が赤く染まり、夜の青を押し流していく。朝焼けだ。
 そして、朝焼けを背後に、こっちに歩いてくるのは…。
「ったく、さんざん心配かけさせやがって…帰ったら、こっぴどくとっちめてやるからな…」
 ちょっと恥ずかしそうに微笑んで、巫女の服着たりりたんが、こちらに向かってくる。
「りりたーん!こっちよ!」
「よかった…大団円だねぇ…」
 オレは駆け出していた。ちくしょう、気分がいいじゃないか!
「おーい!りりたーん!」

「お嬢様の救難信号を確認!」
 オペレータの弾んだ声に、沈みきった隊長の気分は一気に反転した。
「システムチェック!」
「診断プログラムは、当車輛の機材、会場内に設置した機材、諜報衛星『天帝キリストの子ら』、いずれにも問題を発見できませんでした」オペレータは安堵の息をついた。「お嬢様は無事です!」
 別のオペレータが報告した。
「所在確認ができなくなっていた黒服A、B、C各隊の反応が復帰しました!欠員なし、全員無事です」
「ようし、全黒服部隊に告ぐ!これよりお嬢様の座標を転送する。お嬢様、およびそのご学友の身柄を最優先で確保せよ!」

「これは…」
「業魔の力が…消えた…」
 美晴は呆然としてしまったが、ややあって、その顔に笑みが浮かんだ。笑みは徐々に大きくなっていった。
「どうしたんだ…美晴?」
「わかりませんか?あの子ですよ。あの子がやったんです。業魔は普通の人間には祓えるようなものじゃありません。あの子…本当に、大した子だわ…誰の力も借りずに、自分で力の使い道を見つけて、あまつさえこんな強力な業魔を祓ってしまうなんて…」
 夫はにやりと笑った。
「そうか…そりゃ、血筋がいいんだろ。何といっても、お前の血を引いてるからな」
「あら、それだけかしら?あの子は、あなたの血も引いてますよ」
 二人はくすくす笑いあうと、よりそって、子供たちが山から降りてくるのを待った。


 そんなわけで、わたしの最初のお祓いの話は、これでおしまい。えっ、その後の話をちょっと聞いてみたいって?しょうがないなぁ。もぅ。

 結局、今年の夏祭りはもうむちゃくちゃ。アキちゃんのお父さん、みんなをひどく怖がらせたからって、えらいひとからすごく怒られたみたい。だから、アキちゃんのお父さん、その帰りにうちに来て、とうさまに、「やっぱり来年はオレが太鼓を叩く。叩くったら叩く」って言ってったよ。
 でも、悪いことばかりじゃなかったんだ。来年からは、ユウちゃんのお父さんの会社が、夏祭りに全面的に協力するんだって。ユウちゃんは「お父様ったら、『可愛い娘を見知らぬ人間の祭りに預けてはおけん!』って息巻いてますのよ」って困ったように言ってたけど、いいじゃない。お祭りが楽しくなるんなら。あと、ゲンさんの射的屋もね。
 アキちゃんは、わたしのこと、実はすごく心配してくれてたみたい。あれからしばらくは、気持ち悪いくらい優しかったんだよ。でも、最近は、やっぱり元通り。正直に言うけど、やっぱり、アキちゃんは普通が一番!
 それから、わたし…わたしは今、かあさまに、お祓いの手ほどきをうけてる。本当は、わたしがもっと大きくなってからするはずだったんだけれど、かあさまが言うには「あなたは筋がよすぎるから、変な癖がつかないうちに、きちんと勉強しなくては、ね」だって。わたし、あの時──あの時って、わたしが始めてのお祓いした、あの時だよ──の事は、まだちょっと混乱してるんだけど、かあさまと練習すれば、次はきっと、もっとうまくいくと思うよ、ね?

 そうそう、それから、さよちゃんと、ととさま…次郎衛門さんのこと。びっくりしちゃった。
 ある晩、夜中に、みんなが寝ているときに、突然とうさまが絶叫したの。
「ぎょ、ぎょええええええええ!」
 わたしとかあさまがびっくりしてはねおきて、とうさまにどうしたのって聞いたら…。
「こ、こういう仕事だけどな、枕元に幽霊が立つってのは初めてだぞ…」
「あら…」
「さよちゃん!次郎衛門さん!」
 二人は、わたしの秘密を知ってるんだけれど、どうしても、そんなわたしのお手伝いがしたいと言って聞かないの。
『わたしは、りり様に助けられました。りり様なかりせば、わたしは業魔のいいなりになっていたでしょうし、ましてや、可愛いさよともう一度あいまみえることなど夢また夢だったでしょう。娘も、りり様と会わなければ、未来永劫、山を一人寂しくさ迷い続けるだけだったでしょう。わたしたち親子は、りり様にとてもお返しできない御恩を頂いたのです。さすれば、せめてりり様のお力になることで、すこしでもその御恩に報いることができれば…』
 かあさまは一生懸命説得した。あなたたちは、もう未練とは解放されたのだし、そうなれば、もうこの世をさまよう理由もない。お気持ちはありがたいのですけれど、せっかく得た自由の身、自分のために使ってもいい頃合なのですよ…。
 さよちゃんと次郎衛門さんは強情だった。三日三晩、かあさまと二人は延々話し合った挙げ句(とうさまは、最初からあきらめてたみたい)、結局、二人は、しばらくわたしのおうち、柏木神社に居着くことになったの。
 だから、わたしがまたいつものように、朝、とうさまとかあさまにいってきますのあいさつをして、境内を抜けようとすると、社の影から声がするんだ。
『いってらっしゃいませ…りり様。今日も一日、お気をつけて』
『りりたん…かえってきたら…また…あそぼうね』
 とっても、とっても楽しいって思わない?


第1章「裏山きもだめしツアー」

Written by こじましゅういち

Fin.

 
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